●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの外国人シリーズの最終回、その意味の考察。
シリーズ 外国人交遊録●最終回・なぜ、英語を勉強するの?
日本人がなぜ英語を勉強するのか?答えは単純明快で、知っていると便利だからである。
新聞、テレビ、映画、音楽、広告といたるところに英語が氾濫しているうえに、これほ
どグローバル化した時代では、情報のダイレクトな入手や空港や海外旅行などで世界共
通語としての役割を果たしている。「やっぱり、やっといた方がいいですよ!」なのだ。
本音をいおう。わたしの場合はアメリカへの憧憬があった。どっぷりと戦後のアメリカ
ンデモクラシーの教育を受けた。パンとミルクの給食を食べ、テレビでアメリカのホー
ムドラマに感動し、ジャズに酔い痴れた。“豊かなアメリカ”“実力評価のアメリカ”
“女性にやさしいアメリカ”“因習のないアメリカ”と上っ面だけど美化していた。世
間体を気にする家庭に育ち、貧乏に汲々とする日々を送った私には、日本の封建的風土
にはないおおらかな自由と、いつかは!と希望を持たせてくれる夢の国であった。
一方で「英語信仰はいまだに抜けぬ白人への劣等感であり、話せない同胞に対する優越
感である」「戦後とは日本人がまるごとアメリカの子分に成り下がったことだ」と批判
する人がいるのを私は知っている。
作家・小島信夫が著書「アメリカン・スクール」では敗戦とともにアメリカの占領下に
なった惨めさ、屈辱、悲哀を描いている。「日本人が外人みたいに英語を話すなんて、
バカな。外人みたいに話せば外人になってしまう。そんな恥ずかしいことが……」日本
人が日本人であり続けることの大切さを語る言葉である。
アメリカの文化をそのままコピーする無批判な日本人を見ればその通りかもしれない。
そして今のアメリカを見ればひそかにバカにする気持ちもわかる。ところがそういう人
たちも喫茶店に入ってコーヒーを飲み、ダンスやジャズ・ロックに心酔し、洋風の生活
をエンジョイしているのだ。
言語の精神性も見逃せないけれど、これほどまでに英語圏の生活が染み込んだしまった
いま、したたかに文化の取捨選択の基準を決めるための手段として、英語学習は必要不
可欠であることは間違いない。