6/11の主張             文は田島薫



(ネット難民批判について)

住む場所を持たず、オールナイト営業のネット喫茶の1畳程度のスペースに泊まり

歩いて生活している「ネット難民」が最近よく取りざたされているけど、今朝のテ

レビでも、50代もいる何人かに匿名取材して現状をリポートしてたんだけど、それ

について、タレント作家やタレント弁護士がコメントしてて、今の世の中いつ自分

がそういう状況になるかわからないようで他人事ではない、って気持だ、って言っ

てる人もいたんだけど、今は働こうと思えばコンビニでもどこでもあるんだから、

当人の努力が足りない、などと平然と言ってる意見に賛同者が多くいて、あー、甘

いな〜、って感じた。


大体、ネット難民が働いてない、って決めつけてるところがもう勘違いで、働けな

い人間はネット喫茶の料金さえ払えないで、路上生活者になるのだし、そういった

者も含めてどんどんそういう層が増えつつある、って現状は当人の自助努力の欠如

ってことで済まされない問題なのだ。


今定職について、忙しく働いていて、仕事は遅くまでがんばらなくちゃならないか

ら大変だけど、投げ出さないでその努力を続けているからなんとか妻子を養って、

子供に教育も受けさせてやることができてる、って感じてる人は、だれでも自分の

ようにがんばればそれが可能だ、って錯覚しているわけなんで、そうできるには、

当人の努力もあったことは事実だとしても、結果的には恵まれたチャンスをうまく

つかめた結果なんであって、努力すればだれでも、ってわけにはいかないのだ。


大体、コンビニだってなんだって仕事がある、って言うけど、そういったパートの

賃金は時給800円とか、いったもんで、ボーナスとかの諸手当てなどなく、身分保

証もなく、いつでも失業の危機をかかえているわけで、それで例えば、家族を養う

ようなことや、将来の生活設計をするようなことができる、って思ってるらしいそ

のお気楽タレントたちの認識は今の自民政府も同レベルなのだ。


家族を養うのは無理として、身ひとつ養うだけなら大丈夫だろう、って言い、選ば

なければ仕事はいくらでもある、って言うなら、若いフリーターが余ってる時に例

えば50過ぎの人間のだれでもすぐに就職できるはずもなく、いずれできたとしても、

金がなければ、求職中にアパートの家賃さえ払えなくなり追い出される状況だって

当然出てくることもあるのだ。


失業率が下がったなどと言って安心している政治や社会から不遇な労働環境を野放

しにされ、自助努力し続けてもどうしようもない、って人々もいるのだ。




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