2/13の主張 文は田島薫
(政治家の誇りについて)
線路内に入り込んで自殺を計った人をそばの駐在の警官が助けようとして、2
人が電車にはねられ、警官だけが後日死亡し、顔見知の地元民らから連日、花
やおくやみの言葉が寄せられた報道に感動したのか、安倍首相も現地に駆けつ
けおくやみを添えたのは悪いことではないんだけど、その際、報道陣に対して
言ったコメントが気にかかった。
彼は「自分の命を犠牲にして他人の命を救おうとしたわが国の警官に誇りを感
じる」って主旨のことを言ったんだけど、考えてみたら、安倍首相とその警官
との間には直接関係がないわけだから、きっと首相は、一般論として、わが国
の警官はだれでもそのような場面では自己犠牲の精神で働くような存在になっ
ているということだから、そういった警官を持つわが国と、その指導者である
自分の手柄としても誇れることだ、って言いたいんだろう。
しかし、よく考えてみれば、いくら警官と言えども、自分の命を捨てても人を
助けなければいけない、って教育されてるはずはないわけで、もし、仮にそう
教えられたとしても、実行できる人は少ないだろう。
この場合、その警官個人をほめればいいのであって、敷衍化してわが国はそう
いったすばらしい国だ、ってあたかも自分の手柄のように言うことはないのだ。
そういった単純な発想が、良い国であるわが国、って馬鹿げた愛国心教育政策
になったり、逆に悪い国である北朝鮮、って敵視政策に繋がるのだ。
政治家ってものは、国際関係だって、歴史的に見て、自国の過ちを正当化する
時と同じぐらいのイマジネーションで悪と決めつける国に対してもその立場を
考えぬいて公平な施策をするのがいいのであって、単純に善悪の決めつけをす
べきではないのだ。
人命救助話に対してだって、そこの部分だけ見るのでなくて、自殺しようとし
た人がどうしてそういうことを考えなくてはいけなかったのか、ってことこそ
もっと敷衍化して考え、不平等な社会の歪みを直して行く努力とその達成こそ
が政治家のリーダーである首相とわが国の誇りであるはずなのだ。
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