●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、取材データからの「職人」シリーズ最終回で、
次回から「ネコ」ですって。


シリーズ問わず語り●晩年

いくつかって? こんな歳になっても年齢を聞かれるのはあまり気持ちのいいもんじゃ

ないけど、86歳ですよ。えっ? 歳より若く見えるって? いやですよ、こんな婆さ

んをからかっちゃ…オホホホ

ちょっと長生きしすぎたかなって思うんですけど、女の平均寿命は86歳っていうから

それほど珍しいことではないですわね。でも半分呆けてましてね。ときどき正気に戻る

けど、その狭間がまたいいんですよ。世の中のいろんな事もいろんな人もよく見えまし

てね。ボケの世界と正気の世界を行ったり来たり、都合のよいように使いわけたりして

ね。ウフフ

先だってもね、独り住まいの高齢者のためにといって、市から派遣されたボランティア

の方が見えて、さんざん身の上を聞き出しては、独り暮らしに同情するだの、振り込め

詐欺に気をつけろだの、ああせい、こうせいとまるで子供扱いでうるさいから言ってや

ったんですよ。「わたしゃ、長生きしたいとは思いませんよ。生きられるだけ生きてお

迎えが来ればさっさと逝けばいいんですよ。それまでわがままに暮らしますからほっと

いてください」ってね。そしたら可愛げのない婆さん、という顔をして、「いざとなっ

たら人に頼るんだから、生意気なのは嫌われますよ」なんて捨てぜりふを残して帰って

いきましたっけ。

年寄りの独り暮らしは寂しくて他人の助けがなくては生きられない、と愚痴れば、そう

いう人は満足なのかもしれないけど、文句をいうのも愚痴をいうのも元は一緒。表現の

仕方が違うだけなのよ。ちょっと正気になって理屈をこねると上から手を差し延べたい

人は自分の思い通りにならないと不満なのね。わたしゃ、かわいい老人なんてまっぴら

よ。

こんな話をすると勝気な婆さんに見えるでしょ? いえいえ、から元気でしてね、意外

ともろいのよ。それを知っている人がいて、ある宗教を勧めにきてね。悪いこと言わな

いから宗教を支えに生きていきなさい、っていうの。パンフレットを見たら、教祖様は

立派な衣服に御殿住まい、拝殿も金ぴかの絢爛豪華。これらはみんな信者の浄財だとい

うのよ。目の前の勧誘する信者は質素なみなりをしているのにね。これはちょっとおか

しいぞと思ったけど、凝り固まった信者と宗教論争をしても始まらないから、そのとき

は呆けたふりをしましたよ。これでも結構演技力がいるのよ。

あら、月がでたようね。ああ、きれいな満月。誰かきてくれるかしら。狼男でもきてく

れればいいんだけど、こう家が建て込んでは出るはずないし、雪女は吹雪がなくては現

れないし。般若になって恋人のところへ行こうにも美女が変化するから恐ろしいので、

婆さんが化けても死に損ないにしか見えないわ。ああ、歳をとるとなんて出番がないん

だろうね。本物の一葉は花も実もあるうちに若くして亡くなってしまったけど、わたし

もなんとか死に花ぐらい咲かせたいものだわねえ。

ところでわたし、夕ごはん食べたかしら? ねえ、ごはん食べてないのよ。わたしを餓

死させるつもり? 帰るの? なに? ボケの始まった婆さんとは話したくないって?

どこのどなたか知りませんが、帰らないでくださいまし…もし…


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