4/16の主張             文は田島薫



(日本人の幼さについて)

河合隼雄さんが米国などに教えに行った時などの経験で、米国人の教師から、

日本から留学して来た大学生たちが中学生のような顔をしていて行動も幼い、

って指摘された、って話を講演集の中で書いていた。

本人はきちんとやってるつもりでも、例えば入り込んだ米国の大学環境や、ホ

ームステイ先での行動が子供じみて社会性に欠けると言うのだ。

その原因のひとつは大学に対する認識の違いがある、と、米国では、大学は「

勉学に励むところ」で、それをしない者は確実に卒業が不可能になるのに比べ、

日本では入るまでの受験競争は過酷を極めるわりに、大学入学が「到達点」と

考えられている風潮があって、ほとんどの者が入ったとたんに勉強をやめてし

まうんだけど、それでも、大学や教師の方も同様に考えてるために学生に甘く、

ほとんどの者がなんとなく卒業できてしまうところにある、と。

要するに、大学に入るまでは何を置いても受験勉強一筋にがんばればいい、と

親も教師も社会も、考えるため、青年期に、社会性とか主体性など、人間生活

に必要な学習をする機会を逸してしまうからだ、と。


そして、まあ、競争に勝ち進んで、それなりに経済的に恵まれた就職を果たし

たとしても、海外に行ってみると、その欠落が顕著になるわけなのだ。

まだ、それに気がつくレベルならいいけど、全く気がつかないほど幼い人々が

大勢いるのが今の日本の現状なのだ、ってことをみんなでよく自覚して、それ

は、単に若者だけの問題でなく、それを育てたわれわれ世代の問題でもあると

考え、世界の中でそこそこ経済的レベルが高い、ってことでいい気になってな

いで、はたして裸の自分に主体的にものを考える能力が本当に備わってるかど

うか、国内や世界の現状を公平に見れる判断力があるかどうか、ちょっと、そ

の忙殺される仕事の手を休めて、もっと反省してみようではないか。




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