9/11の主張             文は田島薫



(主張するってことについて)

哲学者池田晶子さんの本読んでたら、「だめな人ほど主張する」ってあったので、

ありゃ、こりゃ私のことだ、って笑ってしまったんだけど、素直にその通りです、

って済ましておけば、けっこうスマートなんだろうけど、ちょっと主張を。


彼女の言う主張の意味は、いわゆる疎外感を持った若者たちの自己主張について、

自分の存在を誇示する目的だけのために、例えば、バスジャックしたり、親に暴

力を加えたりすることや、ついでに若者の主張、といったものについても、批判

してるわけだけど、その真意は、若者の悩みというものが自分自身を突き詰めて

考えたり、世界と自分との関係といったことについて考え続けることに意味があ

るのであって、それをする前に他人に不満を表明することがダメだってことだ。


じゃ、若者じゃない私だったら、他人に対して不満を表明していいのか、って、

言えば、やっぱり、その前に、もっと自分自身の不備についてじっくり反省改良

に勤めることの方が大切じゃないか、ってことも言える。


じゃ、主張やめるのか、って言うと、それはやめない。

だって、じっくり自分をみつめるだけで、それで得た考えを表現しなかったら、

人との深い関係性を築けないだろうし、人とつき合う意味もなくなりそうだ。

でもそれだったら、実は「主張」でなくてもいいのであって、力まずただ普通に

私はこう感じこう考えてます、って言えば問題はないのだ。

しかし、若者や感情的な大人は自分のこころに不満などがたまると、思わず攻撃

的に表現してしまいがちだから、わざわざ池田さんはそう言ったのだろう。


人に危害を与えない範囲で、時には激しい表現で主張してもいい場合もあるだろ

う、って私は考えるんだけど、それは多分、あきらかな不正を隠ぺいしようとし

ている人間に対して、といったごく限られた場合に限られるし、それにしたって、

本当は穏やかな表現で済んだり、それの方がより効果的だったりする。


じゃ、なんで私は「主張」ってタイトルにしたか、って言うと、それは「シャレ」

で、うさん臭いな〜、って思われるだろう、ってことをわざとです。




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