10/10の主張             文は田島薫



(北朝鮮の核実験について)

北朝鮮が国連の批判を無視した形で核開発や核実験を強行したことについて、米国

をはじめ、日本でも、安倍首相を代表に経済制裁の強化を叫んで怒ってる形だけど、

北朝鮮のその行動がそれほど、とんでもないものなんだろうか。


核軍備の数量的優位を確保したまま他国には核保有を許さない、って論法の米国が

正しい、って盲目的に信じている「自由と民主主義教」の狂信者、って、米国やそ

れの追従国に対して多分イスラム圏や北朝鮮などは感じているんじゃないだろうか。


わけの分からない正義をかざし、根拠のない報告を基に大量破壊兵器保持って決め

つけてイラクを攻撃し、10万ものイラク市民を殺りく、劣化ウラン弾などの非人道

的兵器も大量使用し、それの影響で数十万の子供たちの命を危機に曝している、な

んてことは、大手資本に牛耳られた報道会社では報道の前面には出されない。


そんな米国にいつ攻撃されるかわからない北朝鮮が核軍備するのは当然すぎるほど

当然のことなのだ。

われわれはある種の力を貯えるか、それのバックアップを得て、ある種優位に立っ

たと感じると、自分を偉いものなんだ、って勘違いして、そうでない他を支配する

権利がある、ってこれまた勘違いしちゃうもののようなのだ。


実は人はみんな平等だし、国も平等で、科学技術先進国が偉くて、そういうものが

未発達の後進国が、そういった国に支配されるのに甘んじるべき価値の低い国だ、

ってことでは決してないのだ。

人間にとって一番大切なもの、って科学技術ではないだろう、科学技術、ってもの

は人間を含めたあらゆる存在の本質を知り、それを享受するための道具でしかない

のだ。

その道具としても、はたしてハイテクなほどすばらしいものかは、大いなる疑問だ。

科学技術に目くらましされたわれわれは、より下らないものの価値の妄信によって

より高貴な価値を見落としていることが多いのが現代なのだ。

他人や他国をコケにしようと感じたら、本当に自分は偉いのかどうかをよーく考え

てみようじゃないか。




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