●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回のもどきさん、ペットの気持を思いやってます。


ペット

私が結婚したばかりの頃のこと。猫を飼うことになった。迷いネコでえさをあげてい

たら自然に居ついてしまったのだった。白と黒のブチで器量のよい雌猫だった。ハタ

キを使ってじゃらしてみてもお義理に手を出す程度であまり興がのらないところをみ

るともう大人だったのかもしれない。喉をさすると機嫌の良いときはゴロゴロ音をさ

せ、目を糸のように細めて気持ち良さそうだった。

その猫がまもなく子を孕んだのには虚をつかれた。やがて三匹の可愛い子猫を出産す

る。私は到底子猫の面倒までは見られないので、情が移らないうちにと嫁入り先を探

し、近所友人にまだ幼い猫をあげてしまった。母ネコはかなりショックだったに違い

ない。しばらく子猫を探す風をしていた。私はこれに懲りてその猫を病院に連れてい

き不妊手術を施した。それから数年後、天寿をまっとうしたように隣の家の縁の下で

死んでいた。

それから数年後、私は近所の人から貰ったつがいのインコを飼った。その羽の美しさ

といい、さえずりといい、首をかしげるしぐさがなんとも可愛らしさかった。

インコの世話は水と市販のエサをあげればよく、籠の中で終日過ごしなにも悪さをし

ない。ただすぐ糞で汚れるので籠の掃除だけが大変だった。

あるとき、籠の掃除をしていて、下の隙間から敷いてある紙を引き出そうとして開け

たとき、1羽の方がすばやく逃げていった。開け放ってあった窓から大空へまっしぐ

らに飛んでいき、やがてみえなくなった。その姿のなんとダイナミックなこと…懸命

にはばたいてまるで目指す場所があるかのようだった。私はこの一瞬の出来事に呆然

とした。

インコは短命で残った1羽もまもなくひっそりと死んでしまった。

私はその後ペットを飼っていない。

ペットにとって飼われたことは良かったのか、そうでなかったのか。私のしたことは

良かったのか、悪かったのか。私は考える。

生きているといろいろ迷いごとが多い。人は目の前の大きなこと、小さなことを含め

て選択しながら生きていく。

それが良いことなのか、そうでないのか、ああすればよかった、こうすればよかった、

なぜあんなことをしたのか。それは自分のためなのか、他人のためなのか。

思えば、人生は絶えずそんなことの繰り返しなのだと思った。


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