●新連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回のもどきさん、今どきの話題の本質を突いています。
いじめの構造
いじめによる子供の自殺が後を絶たないのは痛ましい。
以前私は子供の教育にかかわったことがあった。そのときつくづく感じたのは、こども
の本質はいつの時代もそれほど変わりはないのに大人のつくる社会にたやすく染められ
てしまうということであった。子供社会は大人社会の縮図ともいえるのだ。
特に幼い子供にとって親は絶対な存在である。
例えば母親が勉強する子になって欲しいと子供心に感じると「ぼく、勉強好きだよ」と
いって母親を喜ばせるいじらしさ。親の期待を一身に背負ってその期待に添うことで親
の愛をかちとろうとするのだ。だからこそ親の価値観、生き方が大きく影響し、ひいて
は親が所属する大人社会を反映させるのである。
多くの母親は自分の子供は突飛でないことを望む。“変わった子”というレッテルを貼
られることを極端に嫌う。勉強は突出するほどできて欲しいが、遊んだり、しゃべった
りといった普段の行動は皆と同じを望む。ある幼稚園児のお母さんはお母さん同士の集
まりになじめず、仲間はずれになっていた。するとその子供もいつの間にかいじめられ
っ子になっていたという。あきらかに大人の価値観が子供のいじめにも反映したのであ
る。
大人の“○○すべきだ”という基準が横行すると、子供もその基準からはみ出した者を
いじめる。政府は個性を尊重する教育といいながら、今回の教育基本改正案では思想や
道徳など内面にかかわる文言が多く、個人の画一化を増長させるもののように思えてな
らない。これではいじめはなくならないのではないか。世の中はさまざまな人で成り立
っていて、それぞれの立場を尊重する心と人と変わっていても貫く自信と強さを育てる
のが教育ではないかと思うのだ。
テリー伊藤がいいことを言っていた。「日本人がネガティブなものだと考えてきたこと
を責めたり嫌ったりせずに再評価しよう。そこにはきっと新たな生きる力が生まれるは
ずだ」それを『負の力』というそうだ。いじめられやすいネガティブファクターの根暗、
優柔不断、鈍感、根性なしなどが実は豊かな人生の糧になるなんてなんとすばらしいこ
とだろう。
そう、マイナスと思われることも強力な武器であり、人と変わっていることも堂々と認
めて伸ばすのが教育であり大人の役目なのではないだろうか。