酩酊放談             文は上一朝(しゃんかずとも)


発言欄のどうにも書かないN先生のピンチヒッターがレギュラーに、
事情通シャンさんが独立コラムに栄転!
今回も続続続続・転居通勤シリーズ、けっきょく先生大きなカバンを認可か?



しゃそうから5

「ナヌッ!常磐線に酒盛りが無くなったって。常磐線もダメだな」なにがダメだかわから

ないが“常磐線の主”はがっかりしたようだ。

前号で常磐線はお行儀がいいと誉めまくったが、じつはそれほどでもない。あの皆さんが

持って歩く大きなカバンに大変迷惑をこうむっている。ただでさえ混んだ車内にどうして

大きなカバンを持ち込むのだろう。帝国陸軍の教えよろしく物を持ち歩かない育ち方をし

たので合点がいかない。

子供の頃あんな大きな荷物を持ち歩くと「なんでぇー乞食の引越しか」とからかわれた。

乞食の引越しなんていうと差別だといわれそうだが、昔の乞食は他人様の迷惑にならない

ところに居をかまえ、近所で貰いが少なくなると場所を変えたらしい。役者と乞食は…と

言われたくらいだから悲壮感が少ない。現在のホームレスとは性質が違う。序にいうと、

乞食は全財産を持ち歩いた。要は整理整頓をしろという意味合いでいわれた。

最近古い言葉の引用で顰蹙をかっているので、「帝国陸軍の教え」について解説する。

帝国陸軍の軍需品は現地調達を旨としていた。中国をはじめ南方においても手ぶらで出か

けていき主に食料を現地住民からとりあげて作戦に当っていた。食い物の恨みは怖い。オ

マケにケシカラヌことも調達した。それがために戦後処理がいつまでもごたついている。

軍隊が食料を分けてくれた米軍とは大違いである。

もともと日本の戦には兵站の思想はなかったようだ。刀一振り、槍一本ぶら下げて戦地に

駆けつけた。兵站を最初に取り入れたのは豊臣秀吉が毛利を攻めたときにはじまる。他の

軍勢が手ぶらで戦っていたとき豊臣軍は十分に食料の補給を受けていた。そのため、明智

光秀の謀反のとき、いち早く近江へ戻って天下取りの一歩をふみだした。他のすきっ腹軍

団は遅れをとったというわけだ。では、明治以降の軍隊はこの教訓をなぜ生かせなかった

かというと、徳川200年の平和が禍した。戦争もスポーツと同じに日頃の訓練が物を言

う。200年戦争をしなければそのこつを忘れてしまっても仕方がない。

ただでさえ貧しい日本のこと、軍需品は現地調達と考えても仕方がないが、「先行きなん

とかなる」というのは日本人の本質でもあるようだ。しかし、「なんとかならず」に苦労

した兵隊のなんと多いことか。では、先の敗戦で少しは反省したかというとそうでもなさ

そうだ。住宅ローンをはじめとするローンがそれにあたるのではないかと思う。「先行き

給料が上がるだろう…」となんの根拠もないのに楽を先取りする。これは、帝国陸軍の

「食料は戦地にあるはずである」となんら変わるところがない。

車内の大荷物の考察を書くつもりが、とんだ横道にそれた。今回はこれでお終い。


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