5/15の主張             文は田島薫



(敬意について2)

前回、ここで、ネイティブアメリカンと表現すべきところ、私はアーリーアメリカ

ンって書いちゃったわけで、ネイティブアメリカンの方々に対して敬意が足りなか

った、ってわけなので、続編を書くのもおこがましいんですが、ご容赦を。


ネイティブアメリカンの話を読んでいた時にも、しみじみ感じていたことなんだけ

ど、世界とのつながりを実感し、学び合うことが生き物たちの生きる意義だとした

ら、あらゆるものに敬意を持って接する態度は必要なことであり、そうなると、当

然、人間社会においてもそれは言えるわけで、歴史上でも、民衆の幸福のために貢

献した、とだれからも愛される器の大きい大人物、って感じられる人々はいずれも、

自分以外の誰彼にも敬意を忘れなかった人だ。


近代で言えば、現場労働者からも愛された本田宗一郎さんのような人を私はイメー

ジするけど、ワンマン経営で失敗した中内功さんのような人はイメージしない。

今週の一葉もどきさんも書いてるけど、当り前のようなことだけど、人間ひとりの

能力ってもんはいくら有能だといっても限界があるのだ、他の能力をうまく取り入

れてこそ物事は大成するんだし、例え自分ひとりの力でやったんだ、って感じたと

したって、よく吟味してみればそんなことはありえない、ってわかるはずなのだ。

最近なるほど、って思ったコメントのひとつは、スタジオジブリの超やり手プロデ

ューサー鈴木敏夫さんの、私は自分を信じない、ってやつだ。

仕事を長くやってそれなりに成果を出して行くと、だんだん自分に奢りが出てきて

しまうもんで、人の意見などを聞きにくくなって来て、じり貧になりがちになる、

だから、常に耳を開いてるんだ、って。


政治家でも、靖国神社参拝するのが、なんでいけないんだか全然わからない、って

それを批判する他国の思惑や感想を理解しようともしない、我が国の首相や、それ

に同調する人気次期首相候補などは、私にはとても安心して国をまかせられる器の

人物には見えない。




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