●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、どーしても、もー、きちんと言っておきたいっ、って、もどき版「きょうの主張」。



連帯感

WBC世界第1位になった興奮が収まってきたと思ったら、今度はドイツでのサッカーW

杯開催まで一カ月をきって、またまたワクワクが高まってきた。野球にしろサッカーにし

ろ団体スポーツであり、チームワークが見所である。

WBCで寄り合い所帯だった日本代表チームを一つの連帯感でまとめたイチローの努力を

思い出してほしい。私たちはその連帯感で得た勝利に感動したのではなかったか。

連帯とは、家族のような血縁でもなく、恋人や夫婦のような愛情ででもなく、気の合う友

人関係でもない。まったくの異なる人である複数の人が同じ目的のために、協力して、己

の責任を果たすために生まれた関係だ。必ずしも個人が突出して強くなくてもいい。弱い

ところは他の人にカバーしてもらい、他の人が弱いところは自分がカバーする。求められ

るのは信頼と調和である。

話をもう少し広げてみよう。

今の世の中こうした連帯感を求められる機会が少なくなった。連帯する社会より競争する

社会となった。企業は成果主義をとることによって個人の能力を重視し、個人プレーを歓

迎する。その結果、お互いに支えあうことをせずに足を引っ張り合う格差社会を生み出し

てしまった。それによっていろいろな弊害が噴きだしているのはご承知の通りである。

言っとくが、戦前の国家的規模の連帯を賛美しているのではない。むしろ連帯によって狂

気の戦争に走った過去のようなことはごめんだ。

そのことを踏まえてもう一度連帯について考えてみよう。

連帯する仲間には性格の違う人、価値観の異なる人、能力の差がある人などさまざまな人

がいるわけだ。しかし同じ目的のためにそうした障害を乗り越えて一丸となるためのテク

ニックを駆使し、その結果深い絆が生まれる。絆を作るためには甘えのような複雑な感情

を制御するための高度な理性を働かせなければならない。社会性といってもいいだろう。

連帯感ってなんと格好いい感情なのだろう。

もうすぐ始まるサッカーW杯を観戦して連帯のすばらしさに痺れようではないか。


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