7/18の主張             文は田島薫



(エゴイズムのヨタ話について)

小泉首相の靖国神社参拝の是非にからんで、東京裁判やA級戦犯などの裁定の正当

性そのものへの批判などもよく取りざたされる。

確かに米国のような先勝国によって一方的に判定され、米国による東京大空襲や広

島、長崎への原爆投下の非人道性については無視されていることについて米国を批

判することには理があると私も思う。

しかし、だからといって、日本がしかけた日中戦争、大東亜戦争、大平洋戦争など

の日本の行動を仕方のない歴史の流れの中の必然であった、などと正当化するのは

おかしな話で、普通の頭脳持ってる人間を説得できるはずがないのだ。

なのに、それができる、って考えてる連中がいるなら、それは普通以下の頭脳じゃ

ないか?、って疑ってるところだ。


大雑把に言えば、そういう連中の主張はこうだ、人類の歴史は力を持った国による

侵略と搾取の連続による、現在の豊かなヨーロッパ各国はそういったものによって

富を貯えたのだから、わが国が同じことをしてことさら非難されなけりゃいけない

道理はない、と、しかも、日本はそれらヨーロッパ各国によって侵略され搾取され

ていたアジアの国々を、アジア人の力で解放させてあげたのだ、って。


しかし、それはへ理屈で、ヨーロッパ人によってだろうが、アジア人によってだろ

うが、武力で侵略された国の人々が侵略者によって弾圧、搾取されるのは同じであ

って、武力で、有無を言わせない、ってところが、武力主導のエゴイム、戦争発生

の本質なのだ。


どこの国だって、自国の利益を求めたい、って考えるはずだし、それが、より力の

ある国ほど獲得の可能性が高い、ってことなら、どこの国だって軍備拡大に励むだ

ろうし、それを実行している国はいくらでもあり、その分野でひとり勝ちしてやり

たい放題がかの米国だ。

だから、そういった侵略行為そのものを、きびしく精査し、それを国際協調で阻止

して行こう、っていうのが国連中心の最大テーマなのに、その原初的命題そのもの

を否定しちゃうとすれば、米国に追従する日本は、知らぬ間に米国と同化してしま

い、後進国の不満や不安に対して鈍感な、頭脳が19世紀で止まったままの認知症、

ってことになるだろう。


力を確保しつつ、力の行使を漫然と認めることをしてたら、世界に戦争の終わる時

はないし、非常に愚かな歴史の繰り返しを認めることになるだろ。

日本の戦争責任を無視正当化しようとする連中は多分、万一起きた次の戦争で体に

被爆し、バラバラになって死んでも矛盾に気がつかないんだろう。

もっとも、それを大声で言ってる人間はほとんど人生捨てたジジイなんだから、コ

コ通読者の若者の諸君はそんなヨタ話に乗らないように気をつけよう。




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