●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は哲学者一族の年始のつどい。



神仏問答

お正月親類縁者が集まった。そのときのこと。

「初詣はみんなどこへ行ったのかな?」

「明治神宮!」「ウチは近所の慈雲寺」「ウチも近くの八幡神社ですませた」「交通事

故に強いから川崎大師へ奮発した!」

口々に名をあげたらなんと見事に八百万の神が揃った。まったく日本という国は無節操

というか、いい加減というか、おおらかというか、便利なものである。

「神宮に神社は神道、大師と寺とくれば仏教。さあて神と仏の大物対決。はたしてどっ

ちに一番ご利益があるやいなや!」

と囃し立てるものあり。

「神にきまってる。神は日本を造りあげた万能者、仏よりももっと以前の存在だからな」

と神道派。

「仏さまはなんたってウチらのご先祖さまが世話になってるんだから親身だわね」と仏

教派。

当然、自分のお参りしたところが一番ということだ。ところがそこへ水を差したのが、

去年、会社の成果主義の締め付けで鬱状態になり、ちょっとしたミスをやらかし左遷さ

れた働き盛りの悲観クン。

「いやー、初詣なんて気休めですよ。どこだって同じ。世の中神も仏もあるもんか。自

分を鼓舞するために神仏の名を借りるだけ」

「そうよ、そうよ、少ない年金生活者に追い討ちをかけるように病気をさせてたっぷり

手術代を巻き上げるんだから、神サンも仏サンも無慈悲なものよ」年金生活者の深刻オ

バさんもいう。

「じゃあ、神様はお賽銭のもらい得? 神様の仕事ってなんなのよ?」

と口をとがらすと、

「庶民の願いを叶えるのではなく、聞いてあげることかな」

この会に背広にネクタイで参加した長老がここは自分の出番とばかりにおもむろに口を

開いた。するとあちこちで、聞くだけなら私だってできる、と不満の声があがる。長老

が咳払いをして、

「宗教は己が信じる心の中にある。仏教でもキリスト教でもイスラム教でもなんでもい

い。

どれも行き着く先はこの世界を造ったとされる神なんだから。キリストも釈迦もマホメ

ットもそのあるべき神の気持ちを伝える通訳にすぎん。神というものはもっと上のラン

クの超越者を指すのと違うかな」

周りがセーター姿の中で、このときの背広にネクタイは威力を発揮して説得力がある。

「なーんだ、神サンはそんな遠いところにおわしますのなら、庶民の苦労もせつなさも

届かないはずだ」

「それに通訳をする神サン仏サンも誤訳してるかもしれないしね」

「いえてる」

みんなが深くうなずいていると、

「宗教がなんだ。マホメットがなんだ、釈迦がなんだ、みんないいとこのお坊ちゃん

じゃないか。さあ呑も、呑も」

悲観クンはやけぎみで酒をついで回る。あとは宴たけなわとなり、宗教論争もケリと

なった。


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