●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は知識によってものの見方は全然変る、って実感した、って話。



こけし

学校を出たばかりのとき、日本橋の老舗の鉄鋼卸問屋の常務秘書をしていたことがあ

る。当時建築ブームにのって会社の羽振りはよく、それほど大きな会社ではないのに

社長と常務に秘書をつけていた。

従ってお飾りの秘書なので仕事はきわめて暇で、電話の応対と客にお茶をだすぐらい

であった。

常務室の片隅に3代も続いている古くて大きな金庫があり、その上に大振りのこけし

が5体飾ってあった。私は朝の掃除のときそれらを磨くように固く言い付かっていた。

丸い頭に円筒の体、三日月眉に細い目、体は赤、黄、青などの菊模様、なんの変哲も

ないありふれたこけしである。かなり年月を経ているものらしく茶色に変色し、代々

磨きぬかれているのでぴかぴかと光沢がでて可愛らしいというより凄みがあった。

当時はなんとダサい置物をいつまでも大事にしているのだろうと思っていた。時代物

の金庫とこけしの取り合わせに、そこの一角だけがある種の陰気なオーラを発してい

たように感じられた。

私は1年ほどでその会社を辞めてしまい、こけしのことはすっかり忘れていた。

それから大分時が経ち、ひょんなことからこけしが単なる郷土玩具ではなく宗教的な

意味もあることを知った。

昔貧しい農村でのこと、望まぬ赤子が生まれると口べらしのため間引きといって生ま

れるとすぐ殺してしまった。そうした赤子を供養するため、東北地方では身近な木で

こけしを作った。こけしは死んだ子供の身代わりなのであった。やがてそれがお地蔵

様となって信仰の対象となっていく。

なんと「こけし」は「子消し」と同義語だったのである。

こけしがこんな悲しい歴史を秘めていたなんて知らなかった。もしこの事実を知って

いたら、私はあの常務室にあった曰くありげなこけしをどう扱っていただろうか。単

なる置物ではなく、お位牌のように恭しく扱っていただろうか。或いは老舗の過去に

興味をもって常務に問いただしただろうか。歴史をくぐりぬけてきた物には必ず存在

価値があることに気がついただろうか。

知識を得るということはさまざまな想像力を膨らませるものだ。それも若いときに身

につければもっと豊かな人生になったものを、と

後悔しきりの今日この頃である。


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