12/27の主張             文は田島薫



(それぞれの事情について)

ものごとには、どれにもそれが起きるための、原因や理由があるわけで、いくら不

条理にみえる傷害事件のようなものでも、例えば先天的か後天的ななんらかの原因

で、加害者の精神が混乱を起こした、といった原因があるわけなのだ。

例えば、親から子への、子から親への、夫から妻への、といった家庭内暴力だって、

それを犯してしまう側にとっては、それが客観的に公正であるかどうかを別にすれ

ば、自分が相手に対し、あるべき形と信じてるものと現実とのずれによる失望や、

怒り、といった原因があるわけなので、それを理解してやることが、問題解決の始

めだろうし、だからといって、すべてを容認してあげなければならない、ってわけ

じゃもちろんないのだけど、それをした後で、被害者の方の立場も理解させる、っ

て順序でなければ、加害者自身の反省は難しいだろう。


現実的な暴力を被るような場合は、悠長なこと言ってられないし、それから身を守

る、ってことが最優先ってことにもなるだろうし、後の相互理解が難しい場合は、

物理的に関係を遮断することが必要にもなろうけど、可能性としては、どんな関係

だって相互理解がありうるわけなのだ。

というわけで、そんなに難しい場合じゃなく、もっと、日常的な何気ない場面での、

言葉の行き違いと相互理解について、ちょっと。


思い出すのは、昔、ちょっと考え方が自己中ぎみかな(これは彼から見たら私も同

様だったかも知れないが)、って感じてた私の友人と、定食屋に入った時、ライス

の盛りが普通のものの他に、大盛りと、逆に小盛り、があった。で、それをふたり

で確認した後、ふたりとも普通でいいと判断して、大盛りもしくは小盛りの指定は

せずにメニューを注文した。出て来たライスを見て、友人は、平然と、「少なくて

いいんだけど」、って運んで来た女主人に茶わんを押し戻した。女主人はわんを受

け取って要望を受け入れたものの怒りの表情で「先に言ってくれないと」って言っ

た。すると、今度は友人が怒りの表情をして、彼女にではなかったけど、私に「何

を怒ってるんだ」、って言った。


これはささいなどうでもいいような話なんだけど、双方の怒りのメカニズムは冷静

に見ればはっきりわかることで、私としてはその時、女主人の方に同情した。

定食屋の女主人としては、残すなどの無駄や不足などがないように、客の胃袋の大

きさに合わせて、忙しい中で、わざわざ面倒なサービスをしてあげてるわけだから、

客の方も少しでも効率よく協力してもらいたい、って考えたとしても当然で、少々

の怒りはもっともだろう、一方、友人の方は、普通でいいと思って頼んだだけど、

来てみたら思ったより量が多かったんで、そのまま言っただけだ、ってことだろう、

手間をかけるわけだから、その事情説明と申し訳ない、の一言を付け加えれば、女

主人は快く対応したはずなのだ。

友人の方は、自分は客なんだから、サービスする側に気を使う必要はない、って思

い込んでいたのだろう、高額な料金の高級店ならそれもありうるかも知れないけど、

そういった店では、双方が気を使うのが世間一般の事情ってもんなのだ。




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