●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回のもどきさん、「贈り物」に不満を爆発させてます。


贈り物

贈り物の季節である。浮世の義理でお歳暮なるものがあるのが恨めしい。来ればお返し

をとなって、やたら過剰包装のものが世の中をぐるぐる回る。はっきりいってユーウツ

である。私は人にものをあげるのが下手なのだ。私は相手がどんなものを喜ぶかああで

もないこうでもないと考えすぎてヘトヘトになって結局ろくでもないものを贈ることに

なる。そのうえ贈り手のセンス云々までいわれては間尺にあわないではないか。

お歳暮のアンケートで、貰って一番嬉しいのは商品券なんていうのを知ってしまうと

“贈って嬉しいはないちもんめ、貰って嬉しいはないちもんめ”とはならないのが現実

のような気がする。

行ったり来たりするお歳暮ならまだしも、一方通行のお歳暮はもっと気が重いのではな

いか。何か他の思惑が物となってやってくるのだから。例えてみれば、越後屋が箱の底

に小判を詰めた菓子折りを悪代官へ贈るように。

贈る相手の喜ぶ顔が自然と頭に浮かんだときが贈り時と考えて、気の向くままにさりげ

なく贈るのが私の理想である。贈り物は物とは限らない。贈る言葉や行動もステキだ。

贈りたいからさりげなく物を贈ったのに、そのあとどーんとお返しなんかがきてしまう

と収まりがつかず後味が悪くなることがある。

貰うときも相応のものを頂くなら気も軽く、「わー、ありがとー」ですむが、不相応な

ものを頂くと私は途端に重荷になってしまう。「心をこめて選びました」なんて言われ

るとそれにこたえられるのか悩んでしまうタチなのである。

他所の家を訪問するときも、手土産をもっていくのが普通のようだが、これも苦手であ

る。「まあ、気を遣って頂いて…」とか、「あーら、そんなことなさらないで」とか言

われてそのまま放置されてしまうと良かったのか悪かったのか気になってしまう。

また人が家に来るとき手土産持参というのも正直いってうっとうしい。口の中でもごも

ごと「まあーそれは、それは」「こんなにして頂いてありがとうございます」とか言っ

て、心の中では(わーどうしよう)と対応を考えるのがめんどくさい。用があるなら用

だけ済ませればいい。用がないならただ楽しくお話をするだけでいい。

友人に話すと、「淋しい人ね。贈るためにあれこれ選ぶのって楽しいし、人から貰うの

はもっと嬉しいものよ」といわれる。ごもっとも、と思うのだが、買い物も他人の思惑

を考えてするのは私にはプレッシャーとなって楽しくない。

というわけで、自然とプレゼントのやりとりの機会は少なくなり、今年もクリスマスプ

レゼントなど貰うことはないのだ。


追記
(一葉もどきの虚言・実言は1月4日より9日まで横浜・関内の教育文化センターで開催される究美展
出展準備のため年末年始休載します)


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