12/11の主張             文は田島薫



(聞くことで広がる世界について)

早い話が、私のこの「コラム」だって、そのためなんだけど、人はたいてい自分の考

えを語ることは大好きなんだけど、それにくらべると、人の考えをじっと黙って聞く

ことが本当に好きな人はまれのように見える。

もっとよく人の話を聞きなさい、って私もよく人から言われた記憶があるんだけど、

こっちにしてみれば、あんたの方こそもっと私の話を聞けよ、って感じることがよく

あった、で、多分これはだれにも経験あることじゃないだろうか。


結局、人は多かれ少なかれ、それぞれの経験に基づいた認識というものを持っていて、

それを、どっかで信じているもんだから、それと違った人の意見といったものは、聞

いた途端にある種、拒絶感が起こるのだろう。


で、それを頑に押し通す人は、良く言えば、自分の考えをしっかり持っていてブレな

い信念の人、ってことになるかも知れないが、その考えを認めない人にとっては、頭

が堅く、少しもうろくして来た変人、で、あいつには何言っても、理解はできないか

ら、話すのをやめておこう、って評価にもなるわけだ。

でも、こうなると、これはどっちも同じ穴のむじなで、自分の方が正しい、って言い

合ってるだけのことになるんで、ここで、まず、「聞く」ってことを先にしなければ

いけない、って話が出るのだ。


最近、縁があって、河合隼雄のカウンセラー本を続けて何冊か読んだところ、普段の

会話として考えても驚くほど、心当たることが述べられていて、とても共感したのだ。

内容を要約すると、日常の人の話、ってものは、重く辛そうな要素が入り込んで来る

と、人は無意識に、すぐに明るい方に簡単に話を結論づけたり、話題を変えたりして

いるもんで、なかなか話が深化して行かず、話し手の本当の理解までたどりつかない、

ってことらしい、で、カウンセラーはとことん、聞く、ってことによって、話し手の

話がどんどん発展し、話し手自身が、驚くほどの明晰な判断を見せることがよくあり、

それを実感することができる、ってことだ。


けっきょく、相手の話をよく聞かないうちに、自分の考えで、何かを結論づけてしま

う、ってことは、相手よりどっか自分の認識を上に感じてる、ってことだろうし、と

ことん聞くことによって人の頭脳の奥深さを実感する機会、を逃す、ってことなのだ。

これは、一見、考えがないだろう、って思わせる人に、より適用できることで、私の

ように、いつも軽く発言してる者では、たいした広がりは出ないんだろうけど。




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