酩酊放談             文は上一朝(しゃんかずとも)


発言欄のどうにも書かないN先生のピンチヒッターがレギュラーに、
事情通シャンさんが独立コラムに栄転!
今回は、センセイ、裸の王様をきちんと暴露してます。


安部さんちの晋三君では心もとない

もうじき自民党総裁選がある。今の日本では、日本国の首相を選ぶことでもある。

それは一部マスコミが、「日本の首相も公選制になった」と書くほど人気投票の体をなし

てきた。その人気投票のトップに安部晋三がいる。

なぜ、安部晋三が日本の首相になっては心もとないかというと、彼には首相となるべき資

質に欠けているようにみえるからである。政治家というものは実務の能力はもとより国民

がなにを求め、なにを考えているかを正確につかみとる能力がなければ勤まるものではな

い。残念ながら彼にはその能力がみとめられない。確かに実務は長けているかもしれない

が、その実務を動かす彼の本質が危ういのである。その理由をいくつか挙げる。

第一は、磐石な地盤を持つ二世、数えようによっては三世議員であること。世襲議員につ

いては鈴木宗男がうまいことを言っている「世襲議員というものは親の政治家(屋)とい

う稼業でメシを食って育っているのでどうしても視野が狭くなる」。ここで言う稼業とは、

なにも議員報酬ばかりではなく選挙区という大きな財産も含む。確かに自分で切り開いた

選挙区と親の選挙区を引き継ぐのでは苦労のしかたに大きな違いがある。

第二には、そのバックヤードが悪い。彼の地元、即ち選挙区では彼が首相になると長州か

ら5人目の総理が出ると浮かれているとか。いまだに薩長土肥のセンスで政治に立ち向か

う連中に担がれている。これでは視野もなにもあったものではない。

第三には、くだけた席でのことだろうが「俺には岸信介のDNAが流れている」と威張る

そうだ。完全なお爺ちゃんコンプレックスで、なにをするにも祖父のまねをするだろう。

第四には、彼の家庭教師平沢勝栄先生が彼を東大駒場祭に連れて行ったところ、構内の立

て看に打倒佐藤内閣とあるのを見て「どうして佐藤がいけないの」といったそうである。

これには「私もおどろいた」と勝栄先生も書いている。小中学生の身では大叔父さん、し

かも偉い大叔父さんと教えられて育ったのだから無理はないのだろうが、この感覚は危険

である。

祖父岸信介についても、戦前は満州国を牛耳り、戦中は東條内閣の商工大臣を務め、戦後

総理大臣になった人間である。どだい器が違いすぎる。佐藤栄作にしてもしかり。尊敬は

してもいいいが、真似はこまる。先に書いたバックヤードの連中はなにかにつけ、あのと

き岸先生は、佐藤先生はああした、こうしたと吹き込むにちがいない。

昔から唐様で書く三代目という言葉がある。どんな名家でも生半可な育て方では三代でつ

ぶれてしまう。彼もちょうど家をつぶす三代目にあたる。

安部晋三は、巷間いわれているように政治経験が乏しい。官房長官のみで他の大臣、党務

の経験がない。オヤジの秘書をやった、なんてのはなんの足しにもならない。大会社の社

長の息子がオヤジの秘書をやったからといって社長業は務まらないのとおなじだ。まして

彼のように名家のおぼっちゃんではなおさらだ。まさに生半可な育て方をされている。

安部晋三の最大の欠点は、岸、佐藤の並外れた権力行使を学び、権力の強さは知っている

が、怖さを知らないということに尽きる。権力というものはその使い方を一歩間違うと国

を滅ぼすという怖さはまったくわかっていない。そこが乳母日傘で育った彼の弱くも、ま

た怖いところである。

「総理というものは、あの人には無理だろうといっていても、いざその座につくと思いも

かけない力がでるものです」。と、故後藤田正晴がよくいっていたが、安部晋三の「とん

でもない方の力」が発揮されたら国民はたまったものではない。


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