酩酊放談             文は上一朝(しゃんかずとも)


発言欄のどうにも書かないN先生のピンチヒッターがレギュラーに、
事情通シャンさんが独立コラムに栄転!
今回は、終戦と「日本人の責任」について先生が感じてたことを吐露してます。



八月十五日によせて

短剣を吊りて来ませよ海のごと 深き夜空に迎え火焚くに。

好きな短歌だ。15〜6年前に新聞のコラムで知った。著者は当時大坂証券取引所理事長

をしていたY氏である。

氏も昭和30年頃の地方紙でこの歌を見つけたそうだ。慟哭を抑えた静けさ、それによっ

てかえって際立つ感情量の豊かさに痛く心を打たれた。と書き、作者は若い未亡人かある

いは母なのか、と書いている。

戦死者の遺族は大方この歌の作者のような気持ちではないのか。口では「お国のために死

んだのだから」といいながら、心の中では戦地に征く日のその姿で帰してほしいと願って

いるだろう。それが叶わないからこそ靖国神社の社頭で亡き夫や息子を偲ぶのではないか。



本来鎮魂の場であるはずの靖国神社を政争の具にしてどのくらいたつだろう。

Y氏はこうも書いている。「その戦争で最愛の人を失った肉親たちは、戦後のこの長い時

間を、ずっと周囲の無関心の中で黙って彼を偲ぶしか耐える道が残されていなかったのだ」

しかし、昨今の靖国論争をみていると周囲が無関心であった時代のほうがまだよかったよ

うな気がする。

戦没者慰霊という意味での靖国派とアンチ靖国派の論争は、やれ、東京裁判は無効だ。や

れ、昭和天皇はこう言った。などと本質を論じようとしないで、お互いに我が田に水を引

くことばかり考えている。

東京裁判無効をとなえる人たちに聞きたい。東京裁判は戦勝国の報復裁判であると言うの

なら、あなた方は大東亜戦争の責任者に対して、世界が納得する検証を行ったのかと。

ああ、負けましたそれでお終いというわけにはいかないだろう。

おなじく昭和天皇平和論者にも聞きたい。明治憲法による立憲君主制と天皇の統帥権の矛

盾はどう説明するのか。いかに立憲君主が平和論者であっても統帥権は軍人の親玉である。

昭和天皇は平和君主として和を唱え、陸海軍大元帥として戦争をしたのではないか。

ここのところをきちんとしないで、やたらに天皇が天皇がと言っても事をあいまいにする

だけでなんの解決にもならない。

もうひとつ。敗戦と共に退位すべきであった昭和天皇がなぜ退位しなかったのか。歴史の

上では検証されているが、政治はあいまいにしている。この事ひとつをきちんとしただけ

でも、戦死者の慰霊の場として靖国神社がふさわしいかどうかが決まるように思うが。



一国の総理が靖国神社に参拝するのしないのと、天地がひっくり返るかのように騒いでい

る国民を英霊が見たら、俺達はこんなろくでもない子孫を残すために戦ったのかと、さぞ

ガッカリしていることだろう。


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