4/3の主張 文は田島薫
(デジタル人間について)私は自分では人づき合いが嫌いな方じゃない、と思ってるんだけど、自分から友人に
電話をかけたり、自分から何か誘いをかけたり、ってことを今までほとんどしたこと
がなく、昔から友人とのつき合いにマメな努力をしていないようだ。
もっとも、いつもたいてい、それをしてくれる友人がいて、それにずっと甘えていた
ってことも大いにあるんだけど。
で、なんとか友人と会うことになれば、きっちりつき合いはする。
酒宴なら必ず最後までいて、もっと朝まで飲もうよ、って言う方だし。
で、会わないとなれば、1年2年会わなくても気にしないんだけど、だからと言って、
友人のことを忘れてしまってるわけではなく、いつも自分にはこういった友人がいる
のだ、って思ってるだけで十分な感じなのだ。
先日だって4年音信不通だった友人と1日じゅう話し込んで、音信不通だった、って事
実は単に物理的なものだけで、実は心の中でのつき合いはずっと継続してたのだなー、
って確信したとこだ。
で、そんな私からは、今の、特に若い連中のメールのやりとりに象徴される友人づき合いの落ち着きのなさ、ってどうも、頭がデジタル化しちゃってるように見える。
常に自分の存在を示し、相手の存在も確認、ふたりの関係も確認しあう、ってような、
逆に言うと、いつも信頼関係に不安がつきまとってる、ってような。
または、いちいち言葉で確認しないと、相手の気持が読めない、ってような。
私が思うに、例えば人間関係ってもんは、いくら頻繁に会話を重ねたとしても、そこに、おたがいの裸の心が表現できてなければ、深まらないものであり、一度でもそれ
ができさえすれば、もうその関係はある意味永遠なのだ。
デジタルの良さは、判断が早い、ってところにあり、ぱっぱ、ってその場の関係取り扱い処理が済むのかも知れない。
しかし、目に見える処理がかたづいたからと言って、心の処理もかたづいたかどうか
は別問題なのだ。
デジタル化した頭による認識は、「目に見えるもの」に条件反射して行われるようだけど、星の王子のきつねが言ってるように、本当に大切なものは目に見えないのだし、
それを見るためには想像力が必要なのだ。
デジタル人間の最大の欠陥は想像力の欠如、って言えるかも知れない。
あらゆるまばゆいばかりの派手で説明過剰なビジュアルや流行商品がもてはやされる
現象もそれを如実に現している。
ひとりぼっちでは、一時もじっとしていられない、って感じたら、あなたもデジタル
頭になりつつあるかも知れない、想像力ってものを思い出そう。
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