4/10の主張             文は田島薫



(使い捨て文化の空しさについて)

都市近郊では森の木々がどんどん伐採され、住宅地や駐車場や大型店鋪にされ、今や

日本じゅうどこへ行っても似たような殺伐とした人工風景が目につく。

田舎と言われるような地域でも、古い家の多くが新建材を使った国籍不明の邸宅に建

て替えられ、一見、日本はやっぱり豊かになってるんだな、とも思えるんだけど、豊

か、って言ったとたんに、だれでも、これは「ある種の」ってつけ加えるべき、あま

り承服したくない豊かさに感じることだろう。


人間生活の豊かさ、ってもんは、その土地に根ざした伝統や、気候風土、自然、とい

ったものと親密に結びついてこそ、しみじみと味わえるもののはずで、自分がだれだ

か、自分と世界との関係性がどうなってるのか、さっぱりわからなくさせるような、

道具立ての中で、その道具を使う必然性なり、喜びの根拠なりを見失ったまま、あた

かも絶滅に向かって本能的に集団自殺する動物のように、無自覚に、次々新しい商品

を買い続け、捨て続ける、消費活動と生産活動の悪循環の中、消費のための時間と、

それより多いほどの無駄な労働に一日の大部分を費やしていて、それが、豊か、って

言えるだろうか。

それに、家族や世の中の必要性に導かれる労働は本来、喜びや、誇りや、やりがいを

感じられるものだろうけど、世の中に貢献する実感が薄く、余剰の金を得ることだけ

を目的にした余計な労働はどっか、空しさがつきまとうはずだ。

分不相応の豪邸を建てて、それのローンを払うために、朝から晩まで家族全員が働き

に出てる、ってふうに、それも、24時間開いてるコンビニのように、必要性もない労

働に支払われる時給数百円を得るために、ってことだったら。

※本当に最低限の生活のためなのに、時給数百円といったものしか受けられない、って政治の無策に
 よる労働構造の問題の犠牲になってる人々も大勢いる


田舎じゃ、移動に車が必要でそれぞれがアルバイトに行くのに使えるように複数の車

を買ったりして、税金やらなにやらで過大な出費をしつつ、ますます、働かなくちゃ

ならない時間が増える。

車の他、パソコン、大型薄型テレビ、手間いらずの全自動洗濯乾燥機、全自動皿洗い

機、って、買い換えたいものがいつも尽きることがない。

で、せっかく建てた豪邸にゆっくりくつろいだり、ものを考えたりする時間もない、

って、いうようなものが、はたして、豊かな生活、って言えるだろうか。




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