●新連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
今回は、春本番の中を哲学散策。



春が来た!

あれよあれよという間に桜が咲いて散って、枝にはもう新しい葉が芽吹いている。近く

にある菊名プールの周りの柳も繊細な薄緑のぼんぼりのように風情よろしくさやさやと

風にそよいでいる。

目を下に移せば、つつじが次は私の出番よとばかりに蕾がほころびかけ、さらに下草に

はたんぽぽの黄色がお日さまのように開き、その横でヒメジオンがつつましく白い花を

つけている。

隣の菊名池には飛んでいきそこねたキンクロハジロがのんびり泳ぎ、かわせみも姿を見

せるとかで何人かのカメラマンが池の端で鳥の到来を気長に待っている。

ありとあらゆる生き物が活動を始める季節。“スプリング ハズ カム” 現在完了形

のいよいよ春本番だ。

こうして春の到来を書いていると、いかにも私は春に浮かれているように思われるかも

しれないが、実はウツっぽいのである。冬の緊張感を強いる寒さで体はまだ冬モード。

浮かれ弛緩の春モードについていけない。春さん、ちょっと待ってよ、という感じ。芽

吹きの圧倒的な生気に魂を抜かれたようにボーッとしている。私は自然界の旺盛な生命

力にきっと嫉妬しているのかもしれない。

一緒に散歩していた夫が突然こんなことを言った。

「花にも頭の良い花と頭の悪い花があるそうだ」

異なことを聞く。

「へえー、そうなの。例えば?」

「バラは頭が良くて、チューリップは頭が悪い」

「どうして?」と私。

「聞いた話だ。よくわからないけど花のイメージかもしれない。いや、バラは棘と香り

を武器に持っている。チューリップは無防備だからな」と夫。

自己保護の知恵力とか子孫の繁栄力とかでそういわれるのなら花にとって大きなお世話

だ。

私はなにか合点がいくような、いかないような…

高級といわれる華やかな花も雑草といわれる質素な花も、それぞれ精一杯命の美しさを

咲かせているのに…

そんなふうに花を好みで擬人化するのは人間の身勝手ではないだろうか。

しかし、斯くいう私もめったに見られないがカタクリの花が好きだ。勝気な少女がツン

とすねているような風情がなんともいい。

なんにしても咲いた花をああでもない、こうでもないと愛でるのは花にとっても咲いた

甲斐があるというもの。

やっぱり、春ならでは…である。 


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