10/3の主張             文は田島薫



(本当のプライドについて)

プライド、って何だろう、その言葉を聞くと、それが何だか人生を送るのにとても大事

な事だ、って感じる人が多いんじゃないかと思う。

プライド、自尊心、自分を尊いものだと感じること、またそう感じれるように振る舞う

こと、だとしたら、結局、自分の認識のレベル、意識の範囲による自己満足によっても、

それを感じることができるだろう。

だったら、より普遍性を持って、本質的価値に近づいた認識を持ちたい、って思う人は

それについて考えることに対して批判はないだろう。


プライドのためには人は自分の命さえ捨てることがある、って時のプライド、ってどう

いうもので、どういう価値があるのだろう。


いきなり結論を言ってしまと、自分を尊いものだって、感じられること、って、本当は

自分がただ生まれて生きてる、地球上の生き物として体と心を与えられ生かされてる、

ってことに気づく、ってことに尽きるのだ。

そして、それは自分以外の存在にとっても同じことが言えるわけで、例えばその尊い命

を捨てて守るプライド、というものがあったとしたら、そのことによって「のみ」、

自分以外のより多くの命を守ることができる、って時ぐらいだろう。


プライド、ってものを主張する時があるとすれば、命の尊さを否定する者に対してなさ

れるべきものなのだ。

自分も含め命を守ることがプライドの本質である、って結論づけてしまえば、自分や自

分が属す世界が他者のそれより優れている、と主張して怒ったり命を捨てたりすること

は本当のプライドではない。


精一杯生きる努力をしても、助けが必要な人を助け、逆に自分に助けが必要な時はそれ

を他人にお願いし、頭を下げ感謝することも、本当はプライドある行動なのだ。




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