10/11の主張             文は田島薫



(孤独について)

私はひとりでいることが割合平気なタイプじゃないかと思っているんだけど、友人の中

には、ひとりで過ごすのが一日でも辛い、っていう人々もいる。

そういう者に共通してるのは、かつて彼を愛してくれたり、自分も愛する人が、いつも

そばにいたり、それほどそういった愛なんてものは感じないけど、他人行儀じゃなく、

気を許せる人がいたり、又はそばにいなくても、一日のある時間帯にはそんな人との触

れ合いがあって、自分はいつもひとりじゃないんだ、って自然にいつも意識することが

できた人なんじゃないかと思う。

それが、何かのきっかけで、そばからそういう心を許せる人が去って行ったり、又は、

去って行ったと思い込んだり、まわりの人々の存在が急によそよそしいものに見えだし

たり。

自分が信じてた仕事の自信が打ち砕かれたり、愛する人と別れなければならないと感じ

たりした時、人は心細くなり、孤独感に捕われるのだろう。


私の場合どうしてそういう感情がうすいか、っていうと、人に対して愛情に執着した経

験や、失恋を経て、すごく辛い時期を過ごしたことはあるんだけど、幸い、今はそうい

った激情は忘れたぐらい、精神が老けちゃったようなのだ。

恋愛についての本を読み漁って、スタンダールやキルケゴールやフロムなどを読むうち、

恋愛や失恋などのメカニズムが少しづつ分かって来て、究極、人はみな同じ、異性も同

じで、同じ生理をもって、同じような条件が整のった状況では誰もが似たり寄ったりの

反応をするものだ、って分かったし、結局、人って、ひとりひとりをよく見れば、だれも

が愛すべき存在で、それが特定の人に執着してしまう、ってことにはそれほどの根拠や、

必然性ってないんじゃないか、って思うのだ。


人はだれでも孤独なのだ、ひとりひとり違ってて、それぞれが自分の人生を送っていて

それが時々、交差し合うだけの関係なのだ、でも、人はだれも一緒に繋がってて、だれ

もが同じ生理で人生を送る仲間で、いつでもそれを確認できる関係なのだ、って全く逆の

ことも言える。


で、何が言いたいのか、って、いうと、孤独だと感じる気持はだれにでもあって、それ

は当然の人間の生理だけど、よく観察してみると、本当はみんな命は繋がってて、そば

を一生懸命歩いて逃げて行くゴキブリとも繋がってる、って分かると、孤独なんて、こと

はこの世で生きてるすべての存在に「ない」とも感じることもできる、ってことだ。


孤独はバーボンのロックとジャズで「楽しむ」のがいい。




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