11/7の主張 文は田島薫
(政治家の器について)小泉首相の郵政民営化が曲りなりにも実現する運びになり、彼は今期で引退予定、
って言ってる、ってことで次期首相候補として何人か名前が上がっている。
中でも国民には安倍新官房長官の人気がダントツのようだけど、確かに若くてハン
サムだし、拉致被害者に対する同情や、北朝鮮に対する経済制裁の必要をきっぱり
発言したり、靖国神社参拝にも、参拝すべきだ、などと、これも、きっぱり発言し
たりするところを頼もしく感じる人が多くいても不思議はない。
しかし、はたして彼は国のリーダーとして本当にふさわしいかどうか。
彼自身もまだそんな器じゃない、って言ってるようだけど、きつい言い方をすると、
まだ、じゃなくて、意識改革をしない限りずっと器じゃないのだ。
その理由はこうだ。国のリーダーは国民の幸福と利益を考えて行動するものと考えたら、不法に拉致さ
れた被害者は返してもらうべきだし、言う事を聞かない場合は力づくだってしょう
がない、悪いのは向こうだ、靖国だって内政問題だから他国の批判はほっておけば
いいって言えば、国民のプライドを満たすだろうし、よさそうに見える。
しかし、国のリーダーにどうしても必要なものはものごとの大局的見方なのだ。
見方があまりに近視眼的過ぎると、どうしても手前都合の論理になり勝ちで、もの
ごとの公平な収束を治めることはできないのに、彼はそのことにに全く気づいてな
いように見える。
例えば、北朝鮮の拉致は数十年前の日本の朝鮮半島支配や、それまでの欧米による植民地政策という侵略政策、現在進行形の米国による他国に自由に攻め込む帝国主
義に対しての防衛政策の一環であって、拉致も核武装計画もすべてそれにリンクし
ていて、今だに戦時政策を持続しなきゃならない事情があるのだ。
だから、感情論で、拉致被害者返せ、って政治家が叫んではダメで、それは拉致被
害者家族がやるだけの仕事で、政治家は、経済制裁なども言わず、まず日本や、各
国と北朝鮮の国交を正常化し、人的交流などをもっと頻繁にして行くことをすすめ
るべきで、そうすれば、北朝鮮も経済的にも豊かになり、自然に民主化が促進され、
拉致や核武装政策の必要性そのものがなくなり、一挙に問題解決するのだ。
自国の過去の加害をすっかり忘れ、一方的に相手を敵視する政策がいい結果をもたらすはずはないし、それを主張する政治家は器が小さいと言うしかない。
器が大きい、とは、寛容の度合いということなのだ。
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