5/16の主張             文は田島薫



(敵対政策の誤りについて)

北朝鮮は核兵器保有を宣言し、ミサイル・テポドンは日本列島を射程におさめ

ていることが分かった。それに対して、米国の核に守られながら対北朝鮮経済

制裁などを威勢のいい口調で連発する安部幹事長代理らの発言は、子供の世界

で強い番長に取り入り、後ろから強気の脅しを言う小ずるい子供のようだ。


北朝鮮外交についてだれかが融和的な方法を発言すると、すぐにそれに批判的

な意見が出、政治はもっと難しいものなんで、そんな甘い机上の空論で歴史が

動いたことはない、いろいろ勉強すればわかることなのだ、などと説の正しさ

を主張する者が続出する、といった形。

日中戦争も太平洋戦争もその起こる必然があって起こったことなのだから、

その原因と経過をつぶさに検証することによってしか有効な政策はみつから

ないのだ、って、ここの部分は賛成、問題はその検証した先で、だから力で

脅しつけることもたびたび必要な政策になるんだ、ってところだ。


検証した結果がこれじゃ、勉強も検証もしないでよ、って私は言いたい。

庶民の気持はそういった強硬的な意見に弱いのだ、威勢のいい方につく方が

気分もいいだろうし、なんせ、安全は保証されてるらしいし、って。

太平洋戦争の前も国民がやっちゃえやっちゃえな気分で発言しあってたんだし、

そういった強気発言は危険をはらんでいる。

米国の核があるから安全だってことを根拠に北朝鮮に過激な脅しを言っていい、

って発想そのものが歴史を検証した結果政治はすべてパワーゲームだ、ってこと

だけを学んだって言ってるようなもんなのだ。


歴史を学ぶってことはわが国の加害行為をしっかり確認し、それによって、他国

の国民がどういう感情を持ち、それを政治にどう反映させようと考えているのか、

ってことも知り、それに対して充分理解を示し、その後で、どこの一国にも加担

しない国際的に平等の客観認識において、自国の認識と方針を示すことから始め、

共通の相互理解を築き上げて行くことなのだ。


力の強いどっかの国を頼りにしてにパワーゲームの主導権を握ることだけ考える

ことでは決してない。

理不尽に力で脅されたと感じた時、人は命を捨ててテロに走ったりするってことも、

国際政治にとって難しい要素のひとつなのだから。

ただ情報を収集しただけで立場の違いや人間の本質的な感情を無視して安心して

たら、大きな落とし穴もあることを忘れないようにしようではないか。

馬鹿な歴史を繰り返さないためにも。




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