3/22の主張             文は田島薫



(自由の意味について)

今朝の新聞に大江健三郎が自由についての話を書いていて、なるほど、と思った

ので、微妙にずれてるかも知れないが、それの受け売りを概略で。


彼は終戦の時に子供で、これから自由になるのだ、って感じたんだけど、そんな

子供の時にそういった比較思考を憶えてるもんだろうか、って、それを口にした時、

多くの大人が疑問の反応を示したそうだ。そして、先生や大人たちは、その自由を

語る時に、必ず、でも自由の意味をはき違えてはいけない、って付け加えたそうだ。


しかし、彼は子供の時に感じたことは間違いがないと、直感し、思い切り自由に

やって行こう、と心に決めたそうだ。

それが後に確信にまでしてくれたのが、丸山真男の「自由とは人が自立を管理できる

ってことだ」って意味のことを読んだ時だそうだ。


いま、日本の兵器産業界では、武器禁輸の法律を改定して、もっと自由に輸出できる

ようにしたい、って動きがある、これが現代の大人の自由感?だ、って。


要するに、大人はよく子供に対して、自由にも、してはいけない自由もある、って言う

のだけど、自分たち大人こそ、本質的な思考をやめた、言葉だけのごまかしの理屈で

行動を起こそうとすることが多く、子供の直感の方がたいてい正しいのだ、ってこと

のようだ。


今の政治家だとか、役人の言動などに気をつけないと、なんでもなんだか正しいこと

言われているような気になってしまいがちかも知れないけど、きちんと押さえておいた

方がいい、自由の本当の意味と、その素晴しさ、ってのは、存在するすべてのものが

あるべき理想を実現する方向に自己管理自立して行ける、って力のことなのだ。

自由をはき違えてはいけない、って言う大人が本当に自由の意味を分かってるとは

限らないのだ。




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