●連載=クボユーシローの
ふぉとふぉと


連載・『李朝』のデザイン その10

『高麗茶碗』は『李朝茶碗』である。足利時代から茶会の席に『高麗物』が

登場し、やがて中国製の『唐物』から主役の座を奪ったといわれる。

『高麗物』いわゆる『高麗茶碗』はその大半が李朝期の『茶碗』である。

李朝の陶磁器を語る上で『高麗茶碗』を省くわけに行かない。しかし、僕は

『井戸茶碗』を代表とする『高麗茶碗』の一群をどうしても好きになれない。

権威主義やブルジョア趣味が嫌いだからということもあるが、それよりも

あの造形に特に感動を持たない。また、茶道家や収集家たちの『高麗茶碗』

を見るポイントが嫌いである。たとえば『カイラギ』。『井戸茶碗』の高台

周辺に釉薬がボツボツになって出ている状態であるが、『井戸茶碗』を趣味

とする連中はそのボツボツの浮き出し方を自慢しあい、うっとりと見つめた

りしている。 (終り)

大井戸茶碗 
銘・喜左衛門井戸 国宝
井戸茶碗の語源はいろいろあるという。井戸茶碗はもともと
李朝の庶民の食器。その中の形の良いものに
当時の茶人が目をつけた。18世紀後半にこの大井戸茶
碗を茶道趣味の大名が550両で購入したという。
古井戸茶碗
銘・上林井戸 
『こいどちゃわん』と読む。コレは大井戸と比べ小ぶりの物、
小井戸をしゃれて『古井戸』書いたらしい。
伝来ではこの古井戸茶碗のもともとの持ち主は豊臣秀吉。
彫三島茶碗・外花 17世紀前半
この茶碗のデザインは日本でなされ、九州の対馬経由で釜山の
窯で焼かれた物である。コレも『高麗茶碗』という。江戸時代
に入ると茶道具商がブローカーとなり日本人好みのデザインが
たくさん釜山で焼かれた。当時、対朝鮮外交を担当していた対
馬藩の宗家が取り次ぎ業務を独占し巨利を得たという。
御本立鶴茶碗(ごほんたちづるちゃわん)
当時の作事奉行(今の建設大臣)で茶道界の大物、小堀遠州が将軍
徳川家光のヘタクソな鶴のラフスケッチを模様に使いデザインし、
釜山に発注した茶碗。
『遠州流庭園』で高校の美術の教科書にも出てくる小堀遠州。
実際は非常にやり手のゴマすり官僚であった。


戻る