3/14の主張             文は田島薫



(死者とのつきあいについて)

末期の肝臓癌で生態肝移植の望みも断たれ、幼い子供3人と妻を残し亡くなった

ウィンドサーファーの記録をテレビで見た。

絶望的な悲しみだけに包まれた家族の記録か、死んだ人のことは忘れて、生き

てる者だけは元気よく生きて行こう、って話でもなかった。

死んだから、ってその人とのつきあいが終わるわけじゃない、って話だった。


幸せいっぱい愛いっぱいの家族が、ひとりの家族の死の危機に全員真正面から

つきあい、治療に立ち会い、最悪の事態の可能性も受け入れ、生きている限りの

時間を大切に共有して行く。

そして、もし亡くなっても、一緒に生きた記憶と彼の家族への思いとメッセージ

はずっと消えずに、これからも共に生きて行く、と言うのだ。

魂も残り、あの世だって、ないという証拠はない。


こころに残る人、って、結局、生死とは無関係なのだ。

生きていても、全然いらない、って感じさせる人もいれば、死んでいても忘れ

られないで、いつも自分の行動の指針になったり、安心のよりどころになって

いる人もいる。

早い話が過去の詩人や小説家の作品は今でも生きているし、人にこころを伝え

られることが生きている、ってことだとしたら、作者は本質的には死んでない、

ってことになるのだ。


だから、大切なのは生きている時の彼の考え方、感じ方、関係性の中での、

メッセージ、っていったもんではないだろうか。

それをきっちりやり、健康に気をつけて精一杯生き、それでも病気などで命が

終わるのであれば、悲しいけどそれは運命で仕方ない、って考えればいいのだ。

死ぬことが、関係の終わりじゃないのだから。




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