6/27の主張 文は田島薫
(靖国神社の傲慢性について)小泉首相の参拝が問題になっている靖国神社は明治にできた新しい神社の割に、
戦後一般宗教法人になったことを利用して(?)なんだか、神道の伝統の決まり
のようなことを理由の盾にして、A級戦犯の勝手にやった合祀を元に戻すことや、
キリスト教などの宗派の違う兵士の遺族や、不本意に徴兵されたの兵士の遺族
からの祀り排除願いに対して拒否し続けている。
おまけに、境内では大東亜戦争の正当化が謳われ、明治天皇の元、国策で作られ
た神社の国粋主義的部分を営業に利用しているていだ。
本来であれば、敗戦とともに、軍国主義日本の宣伝機関ともいうべき靖国神社は
解体し、兵隊に限らず世界じゅうの戦争被害者の鎮魂を掲げる施設を作るべきだっ
たのに、宗教の自由、軍隊で犠牲になった人々を祀り、鎮魂することに、問題は
ないだろう、ってしたところだんだん頭に乗られた、って形だ。
靖国神社の責任者はだれだ、出て来て世界に説明してくれ。
問題にされるほどのことではない、って国民がみんな感じていたんだけど、国際
社会ってものは、そう簡単に都合よく行かないし、第一、その神社の主張ってもの
が、ほっといてくれよ、われわれ日本人の問題なんだから、って言って済むのは、
隔絶された未開社会だけの言いぐさなのだ。
まあ、小泉首相が参拝に行かなかったら、小国のローカルな未開事情、ってことで
世界も問題にしなかったはずなのに、ああやって、首相が我を張っちゃうもんで、
問題が顕在化した、ってことなら、まんざら、小泉首相の愚行も無意味じゃない、
とも言えるかも知れない。
われわれは、今、国際的に注目されることになった靖国神社の主張を、国民ひとり
ひとりがきっちり確認して行く機会を与えられたのだ。
不本意に命を奪われた何百万の日本人や他国人の人々に対し、靖国神社の主張する
「美談」が正しいかどうか、ひとりひとりが胸に手を当てて考えてみよう。
戻る