1/4の主張             文は田島薫



(情報の意味について)

ふたり暮らしを始めた友人がお互いに同じ本を持ってた、っていう何冊かを、

何人かの友人と遊びに行った時に好きなのを上げると言われ、私は池田晶子著

「14歳からの哲学」ってのを他の本と一緒にいただいた。

読むと、分り切ったように見える事が丁寧に語られていて、自分は全部分かって

いたと感じるのだけども、クリアーに整理されてて、人生の本質がはっきりと

浮かび上がって来て理解が割合容易なため、そう感じるのかも知れない。

あたりまえなのに、忘れていることを確認する意味でも、いい歳をした大人が

読んで損はない。


その中のひとつで、われわれが毎日大事なことだ、って気持で当然のことの

ように受け取っているテレビや新聞の情報の意味はなんなんだろう、ってのがあり、

情報を受け取っただけでは人生において無意味だって話を受け売りで。


情報を受けて、そりゃ、仕事や自分の投資先の将来を読むためもあるだろうけど、

直接関係のない国際情勢や、事件を知ってどうしようというのだろう、興味本意で

あ、こんなことがあったのか、へーそんなことになってるんかい、って世界で

起こってることを、ただ他人事のように感じているだけではしょうがないだろう、

って事を言ってるのだ。


情報を受け取ることの意味は、自分が、例えば問題をはらんだ世界の実情を知って、

どうしたら、それがよくなるんだろう、と考え、そのために自分にできることは

何なんだろう、って考え、行動することによって、生まれるんだ、ってことだ。


難しい言葉や、いろいろな情報を知っていて、知らない人にそれを言い伝える、って

ことにも意味があるけど、けっきょくそれはそれを知った人が何かの行動を起こす、

ってことによって始めて価値が生まれるのだ。


だから、いくら教養たっぷりで素敵な人に見えたとしても、ただ事実の集積だけを

いくら知っていても、それだけでは無意味であって、その当人が志を持ち、理想に

向けた意見を出し、それを他人が共感し、その彼や、自分もできることを考え実行

した時に初めて情報を受けた意味と価値が生まれる、ってことなのだ。


あたりまえのことだ、って?




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