2/14の主張 文は田島薫
(愛について)子供に虐待してしまいそうな自分を恐れて、そんな自分を変えたい、と思いながら
できずに悩んでいる母親が、改善のきっかけになればと、1日中家にテレビ局のビ
デオカメラを設置し記録した、っていうのをやっていた。
狭い2部屋に言葉もしゃべれない幼児と母親がいて、子供につけっぱなしのテレビを見せておいて、確かに疲れてるんだろう彼女は隣の部屋で昼寝をしてると、子供
が大声だしたり、泣いたりするので、起きてきては、うるさい、と連発し、何だって
いうの、何がしたいの、って怒りの表情のまま、きつい口調で子供を責める。
起きた後も子供が何か訴えながら母親に抱きつきに行くと、うるさそうに振り払い、
うるさい、うるさい、静かにテレビ見てろよ、と怒鳴って、子供の足に蹴りを入れ
たりしてから、隣の部屋にパソコンをやりに行き、境の戸を閉めてしまう。
また子供は泣き、隣の母親の関心をひくようにそっちを見続ける。
彼女には子供はただいつも自分のやりたいことを邪魔するだけの存在だと感じられイライラしてたそうだ。
カウンセラーと一緒にビデオを見た母親は、子供の可哀想さに気づき、それからは
毎日一緒に公園へ行き、親子の関係は温かいものになった。
子育ては苦労する仕事だろうけど、自分の遺伝子を引き継いだ生き物が、自分との関係性で成長して行くのを体感するわけだから、本当はインターネットなんかより
もっとダイナミックで楽しい仕事のはずで、彼女も多分それに気づいたのだ。
あのスーパースター、ジョン・レノンだってアーチスト活動を全部休んで、育児に
専念し、満足し、それを誇りにしていた。
彼女の例は彼女自身、根は子供を愛してると感じていたので、子供の方でもそれを感じとり、母親を求め続けたという、いい部分があったけど、もし、母親の方が
もっと重い脅迫観念にとらわれていたら、子供への愛情表現が皆無になり、子供の
方も親に不信感を持つようになって、もう修正が難しくなってただろう。
だから、彼女の例は子供の側からのより強い愛情表現(子供も母親から愛されたいと思ってたんだけど)によって母親が救われた形だ。
先日読んだトーマス・マンも言ってたことだけど、愛されたいと思って、はねつけ
られるのは辛いとしても、愛することは力なのだ。
愛されたい、って心は甘え、弱さ、(子供の領分だ)であるのにくらべ、愛したい、
って心は、自立、強さ、本当の喜び、芸術、あらゆる人生の価値だ。
愛し愛され、がいいのはもちろんだろうけど、けっこうそれだと飽きるのも早い。
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