12/26の主張             文は田島薫



(物欲ついて)

先日、私と同様経済的に裕福とは言えない友人と同席してる行事の時、その時友人

が履いて来ていた彼の所有する靴の中で一番高級、しかも女房との思い出が詰まっ

た愛着ある大切にしていたそれが、居合わせた子供のちょっとした粗相によって、

黒い大きな焦げ穴がついてしまった。

子供が走り回るようなこういう場所に履いて来た自分が悪かったって、友人は言い。

ショックと残念さは明らかなのに、笑って諦めてる様子だった。


同じような経験はだれにもあるだろう。

子供の時だったら、絶望のあまり何日も泣き続けることだってあるに違いない。

でも、さすがに大人ともなると、どんな物でも、いつかは古くなって擦り切れたり

壊れたりするもんだって知ってて、それほど物に固執はしなくなるものだ。

物は古くなって行くことで、余計美しさを増す、って見方だってある。

それが子供にはわからないから泣くわけだけど、物とのつき合い方としては、それ

でも、滅びるものの哀れを知ることなんだから、そういう時期も必要だろう。


ところが、とても大雑把な見方だけど、そういった事柄を、現代の人々に当てはめ

て見た時、自分の大切にしてた物が壊れたら、また新しい物を買ってもらえばいい、

って考え泣かない子供や、逆に取りかえしがつかない物を失ったって、泣いて絶望

して自殺までしちゃう大人がいたり。


とにかくいつも自分のそばに気に入った物を集めて、できればもっともっと買い集

めて、いろんなそういった物を所有してることが嬉しいといった考えの人々がけっ

こう沢山いるように感じる。

人生の価値はよい物に囲まれて生活することがすべてだ、って言ってるようだ。


テレビなんかで、自分の高級住宅や高級家具や高級乗用車を紹介して、得意そうに

してる人々、食事だってこういった美食です、って。


あなたはだれですか?って聞かれ、仕事の内容にはたいした意味はなくて、儲ける

仕事で成功し、今やこんな高級品やこんな高級品を所有してます、って言う。


物はやがて壊れたりするから大事にしたらいいけど、それを所有する主人だって

いずれは壊れて消えて行くことも忘れない方がいい、生きてる時に大切なものは、

やっぱり、物、じゃないはずだろう。

大切なもの、とは、「その人が亡くなった後でも消えずに残ってるモノ」なのだ。




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