8/15の主張 文は田島薫
(行政のボランティア依存について)ボランティア、って聞くと、我々は無償の奉仕、人類愛、善意といったイメージ
を持ち、阪神大震災や新潟地震などの時、被災した人々に奉仕しようと急いで駆け
つけた人々の心は善意に満ちた尊いものだと思うし、そういう行動をする人々が多
くいるほどよい世の中だと感じると思う。
でも、そういう気持を持ってても現実にはなかなかできない人々の方が多いのだ。自分の生活の方が大事だと思うからだと言えばその通りだけど、例えば今やってる
仕事を放り出して、ボランティア活動に出かけたとしたら、家族の生活を危機に陥
らせたり、仕事の進行が止まることによって、多くの人々が迷惑を被ったりで。
それでも、そういう犠牲を覚悟してまで出かける人々もいる。他人が生命の危機に陥ってると感じれば、そう動かざるおえない人々なのだ。
現地の行政側としても緊急時のそういったボランティア活動は大歓迎している。それに、行政側の公務員と、ボランティアが共同で活動してる形は外目には美しい
ものにも見える。
でも、自ら志願したからと言っても、ボランティアが無給なのに比べ、公務員は
時間外手当てさえ出る高給取りなのだ。
緊急時じゃない通常の場合も、町内会を通じて、清掃などの奉仕活動をしてる所も多いようで、中には行政側がそれを奨励している所もあると聞いた。
町内会ではそれぞれの家庭がその奉仕活動を家庭の事情と無関係に分担する、って
ことが普通に行われている。
これは、どこかちょっとおかしくないだろうか。本来行政のやるべき仕事を市民に押し付けているわけだから。
それは、市民が手伝うことによって、行政の財政負担を軽減して、結果的には税金
の増大を抑えることができるのだ、って言う人がいるだろうが、それも考えると、
妙な理屈なのだ。
だって、税金は原則的には累進課税で、貧乏人には少なくて済むものなのだから、貧富かかわらず一律に奉仕を求めるのはおかしいし、一律ではなく有志だけに求め
るとしても、今の日本たいていの家庭の主婦は時給800円ぐらいで働いているのに
比べ、公務員はその10倍近い高給を取ってるのだ。
行政はボランティアを奨励する前に、自分たちの給料を半分ぐらいにして、その金で普通に生活できるぐらいの賃金を払える仕事を市民に与えるべきなのだ。
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