4/11の主張             文は田島薫



(歴史認識について)

記述が日本の侵略戦争を美化している、と中国人の反感を買っている新しい歴史教科

書をつくる会の教科書に資金提供した日本企業がある、っていったデマも加わり、

日本の国連常任理事国入り反対の運動にからめ、中国各地で反日暴動があった。


中国の反日教育で育った若者たちが、インターネットによる反日情報を受け、それに

便乗した日本企業と競合関係にある中国企業の商業目的の煽りもあったようだけど、

火のないところに煙は立たないわけで、一番の原因は日本の歴史認識の甘さだ、って

言われても仕方ないだろう。


中国での歴史教育だって、文化大革命時膨大な数の国民が粛正殺害された事実をどの

程度、教科書に表記しているかは知らないけれど、それはどうあれ、中国内政問題

なのであって、中国人も日本の教科書で戦争で日本人が何人死んだ、って記述がなく

てもそんなことを問題にはしない、問題は他国がいきなり侵攻してきて、自国の人間

を多数拉致、強姦、虐殺したことを、なかったことのように表現すべき、って言い、

逆切れのように、開き直り、中国侵攻を正当化するような新しい歴史教科書をつくる

会などの態度と、それを容認する政府や、一般人の歴史認識を問題にしているのだ。


人はたいてい被害については大声で訴えるけど、加害については口を閉ざして、やり

過ごそうとする傾向があるのかも知れない。毎年盛大に行われる広島、長崎の被爆記

念日はあっても、真珠湾攻撃の日とか、中国侵攻や南京虐殺の日に集う反省の会、って

聞いたことがない。


歴史に学ぶってことは、漠然と「人間の過ちを繰り返さないようにしよう」、って

自分は聖なる場所の住人かのような錯覚の上にあぐらかいて、総括することじゃ

ないのだし、ましてや、加害意識を正当化して、無理矢理自分を聖なる場所に置こう、

って考えることでは断じてない。


加害した自分たちの事実をしっかり凝視するところがなくてどうして反省が成り立つ

というのだろう(反省はいらないって考えるのは“学ばない生き物”で論外)。

今回の中国の反日暴動に関して短絡的に中国へ抗議するとか、北朝鮮の拉致に対して

経済制裁が当然といきり立つといったことの前にもっと理解し表現できることがなけ

れば、われわれはやはり歴史を本当には学べてないことになるのだ。




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