11/1の主張             文は田島薫



(イラクの拉致殺人について)

イラクに入った旅行者の若者が拉致され殺された。

無謀さを責める声も巷で氾濫していて、若者の家族にわざわざ非難の電話をかける

身の程知らずのおせっかい者もけっこういるようだ。

政府が警告を出しているのに、それを無視して行くから、救出活動で余計な税金を

使わなければならない、っていったところなのだろう。

それを言いたいなら、今現実に派遣されている自衛隊の対イラク復興活動の効果と

その費用がどれほど無駄で、さらにどれほど逆効果になってるか気づくべきだ。


一般市民である日本人がイラクで殺される、ということは、日本人ならだれでも

イラクで殺される、ってことなわけだ。

無謀な日本人を責めるんじゃなく、もし批判精神というものがあるのなら、アラブ武

装勢力からの日本人ひとりひとりに対しての問題提議だ、って考えるべきなのだ。

そのことによって、若者の死にも意義がひとつ生まれる、といったもんだろう。


そりゃ、拉致する武装勢力はイラクにいるアラブ人の一部かも知れない、平和的に

復興を願うイラク人の方が大部分なんだろう、しかし、最新の調査での米国の理

不尽な攻撃によって殺されたイラク人の数、当初の1万人が、実は10万人を下らない、

といった事実を前に、その直接の被害者に関係するものや、イスラムのプライドを

守ろうとする人々がその米国を無条件で支持する日本を敵と見て、何の不思議が

あるというのだ。


小泉首相は今回の拉致と殺人にその組織が「非道で卑劣きわまりない」、と言った。

一方米国がしている、悪と決めつけたイラク人たちに対する爆撃は「非道で卑劣きわ

まりない」ってことはない、って考えるなら、その根拠はなんなんだ。


われわれの代表であるひとりの若者の死が私やあなたひとりひとりの問題なんだ、

って、もう一度しっかり胸に刻もうではないか。




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