3/8の主張             文は田島薫



(日本人の文化度について)

文化って、ただ芸術みたいなものを観賞するっていうことではなくて、社会の在り方

を含め、あらゆる生活の中の精神的な享受や認識を行い、人々が共通の感動なり、

それぞれの感じ方や、感想、哲学などを持つといった総体のことをいうとすると、

日本人の生活って、そういう部分がかなりないがしろにされてるように見える。


われわれは高度経済成長時代の考え方そのまま修正なしで今日まで突っ走って来て、

不景気だといわれる今も、ゆっくり休もう、って考える人は珍しいぐらいで、

みんなが、仕事仕事で明け暮れているか、失業者は求職に明け暮れている。


もっとも、生活しなきゃならないのだから、稼がなけりゃしょうがないだろ、って

いえばその通りなんだけど、世界レベルでよく考えてみりゃ、飢え死になどの心配は

ないはずだし、ほんとはもっと楽に考えたってどうってことないのだ。


けっきょくみんなで、世間一般の暮らしのレベルを妙な妄想で作り上げ、自分がその

レベルから落ちることを恐れているのだ。

洗濯した暖かい服を着て、屋根のある部屋に住み、ご飯を食べられたら幸せだ、と、

考えられたら、すぐに豊かな時間を手に入れられるはずなのに。


とはいっても、日本の経済構造状況には仕事の忙しい人と仕事のない人、高収入の人と

赤貧の人、税金から高収入を得てつぶれる心配のない組織にいる人と大手のリストラの

波をもろに受け会社がつぶれ貯金もなくした人、といった2極化が蔓延してはいるけど、

これは、利権を持った大手などの経営側、労働側、政治などがもっと、積極的にワーク

シェアリング政策を進めることで、簡単に解決できる問題であって、構造の犠牲者たる

不運な個人が自分の責任と勘違いして悩む必要はないのだ。


自分の生活は自分で管理し、構造的な問題点などは、選挙や、身近な小さな運動や、

意見を積み重ねて行くことをやって行けばいいことなのだ。


仕事が大好きで、それの中で創造的なやりがいを感じている人はそれだけでも文化的と

いえるかも知れないけど、ただ生活の世間的レベルだけを気にして仕事一筋し、仕事以外の

空いた時間に、何をしていいのかわからない、っていったからっぽ頭になっちゃうなら、

人生の本末転倒じゃないだろうか。




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