7/26の主張 文は田島薫
(フィリピン軍撤退について)フィリピンの民間人がイラクで人質にされ、犯行グループから人質の命と引き換えに
軍の撤退を要求されたフィリピン政府は撤退を決めた。
政府も初めはその要求を突っぱねる姿勢をしていたものの、イラクにも大量にいる民間の出稼ぎフィリピン人の安全のためもあり、国民のデモなどにも押された結果
でもあるようだ。
米国やそれに追従する識者などからはそれらしい批判が集まっているようだが、
そういった批判をする人間はけっきょく、人間の命を他人に属す問題だと感じている
からなのだ。
自分がその人質になったら、などとは夢にも想像していないのだろう。
確かに個人の命の犠牲のおかげでその何百倍もの命が助かる、といった状況も
あり得ないとはいえないだろうが、少なくとも、今のイラクの現状で、人質の犠牲が
そうだ、とリアルに信じている人間がいるのだろうか。
でっちあげられた情報を理由に他国を侵略し、民主化を建て前に、何だかいろんな利権の裏工作が見え隠れ、イラクに政権移譲と言いつつ、暫定主導権をきっぱり国連に
渡すようには見えない米国の占領政策にイラク国内に反発があるのは事実なのだから。
イラクの中の一部からだとしても軍の撤退を要求されたら撤退すればいいじゃないか。軍はいらない、って言われてるんだから、撤退して、ほんとにイラク人のためになる
経済政策なり医療政策なりの援助を集中的にやった方が復興援助としてはよりリアル
じゃないだろうか。
その時にまたテロが起きるのであれば、国連軍の形で出直せばいいんだし。
そういうやり方の方がイラク人たちにも分かりやすいはずだ。
平和復興の基本は本国人だろうが他国人だろうがひとりの命の重さをきちんと自分の命の問題と受け取ることから始めるべきなのだ。
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