1/13の主張 文は田島薫
(商業主義のえじきについて)日本は世界的視野で見た場合、物質的に豊かな国のはずだが、収入の多い人々でも
貧しい人々と同じように渇望感を持っているように見える。
それはなぜかと言えば、どんなに金を持っていたとしても、それぞれのレベルに応じ、
金を使わせる商業システムが出来上がっているからなのだ。
高度成長時代からの流れで働き続けた日本人のほとんどは、自分で自分の生活様式を考えたり決めたりする余裕も習慣もないまま来てしまい、それをいいことに、彼らを
食い物にする商業主義が浸透し続けているのだ。(ちなみに私の大学時代の専攻は
それのお先棒担ぎといえる)
だいたい需要を喚起する、とか言って、今まで必要も感じてなかったものを作って、
買わせる、って、それが文化分明の発展といえばそういう部分もあり、すべてが
悪いわけではないが、マイナーチェンジをしょっちゅうやって、2、3年で、古く感じ
させて、買い変えさせようとする車や、服やファッショングッズなど高級品を作り、
あなたぐらいの生活レベルの人はこれぐらいの物を持つべき、なんて言われ、それに
軽く乗ってしまって気にしない国民も国民だ。
物ばかりでなく、あたり前のようにとんでもないほど値上がりしてきた私学などの学費、ちょっと外へ出れば、レストラン、ホテル、の贅沢な等級、どんどん派手になる冠婚葬祭。
葬式でもあなたぐらいのレベルなら、と言われる。
その上、老人福祉の方は未開のわが国では、老後に病で倒れた場合心配と、貯金なり、多額の保険に入ったりと、いくら金があっても足りないのだ。
人間の生活で一番大切なことを考えよう。無駄な気兼ねや心配をしてると簡単に病気になったりして、結局つまらない収支の自己完結になってしまうだろう。
自分のことばかり考えず、産業構造にも目を向け、税金の無駄使いや、しわよせで、贅沢と無縁でますます大変な貧しい暮らしをしている人々もたくさんいることに気を配ろう。
民主党や連合だって、貧しい人々や失業者にもっと目を向けるべきなのだ。
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