今週の感動(昔のもありの)              文はさぬがゆたか


ソノ世界的イラストレータ・サニーはココアメンバーですが、
ふだんのアート作業を栃木でやっていて、そこからの田舎だよりです。
今週も一昨昨年届いた思いやりと悲しみの「今週の感動」。




人にものを伝えるにはこらえなくちゃならない時がある。

素材が生であればあるほど人は警戒したがるものだし、

うっかり受け入れる事が怖くてたまらないのが人だと思う。

そう言う僕やハル?だって初めてタジーの唄を聴いた時には照れたもの。

「思っていること」を受けいれる時って、人はあわてふためく。

だから何かにあてはめてとりあえず安心したがる。

「吉田拓朗っぽいね!」

そうだよ。メッセージたっぷり解ってもらいたいんだから。

でも どこかは違っている。そこを解ることが怖いんだと思っている。

人は中々臆病なもんでしょ。

コピーバンドのいいところはそこなんでしょ。プレーする楽しさを揶揄

することはもちろんないけれど、人は何も心に用意しなくていいから

「安心」なんでしょ。

ギャラリーで見かける風景に「何がいいたいの?」と言う人達がいます。

「何を感じたの?」でしょ?と思う。人が一生懸命描いたものの感じ方まで

説明を受けよう!っての?何でも取り扱い説明書に馴れているんだ。

何だかね、文章で伝えるのは厄介だけれど今後も頑張る。


深夜に流星群が流れた日。我が家のゲンキは亡くなりました。

あの日以来毎日々さ。水を取り替えて、食べない餌を種類を替え

よたよたしながらも散歩に出かけ、日ごとにその距離が短くなり

この数日はただ遠くを眺めるような眼だけで過ごしていた。

夜中中、小さな電燈を灯し小さな音でラジオを掛けていたのに。

柴崎くんと会うために夕方出かけたら、電話が入った。その数時間の間に

ゲンキは逝った。娘は淡々と背中を向けて何か書いている。かみさんはいつもの通リ

せわしくやっている。段ボールでお棺を造り庭先の秋菊を添え、タオルケット

で包む。深夜庭先でたくさんの流星を眺める。

娘の便せん2枚を入れ埋葬した。声を出しながら泣く娘を久々に見る。

背中から大きな杭が抜けたような脱力感と虚しさ。2.3歳年をとったような気がする。

こんな時どうであれ、三孫みたいなところで飲みたいと思った。


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