12/20の日記 文は田島薫
屋形船から梯子きのうは舞踏家成瀬信彦さんに世話役郡司さんと水墨アーチスト北山満智子さん、
映画プロデューサー尾形さんと一緒に、成瀬さんのパフォーマンス会場の下見と打ち
合わせをかね、成瀬さんの接待で、夕方、月島のもんじゃ屋形船に乗った。
船着き場までは係員の先導で、もんじゃ通りを路地をのぞきながらみんなで歩いた。風が冷たい日だったけど船内は暖房が効いて暖かで、ビール飲みながらのガラス越し
東京湾夜景はなかなかのもんで、何組もの若者グループ客たちも大喜びだった。
北山さんはちょうど誕生日だそうで、みんなでおめでとう、って言った。
北山さんは環境問題をメッセージした企画にしたらどうか、とか長い布を流す、といったアイディアを出し、尾形さんは助成金をもらえるようにしたい、と言い、
私と郡司さんは外から見る視点を強調し、成瀬さんは目を輝かせてぐいぐい酒を飲んだ。
夏風の中を行く屋形船に成瀬さんの踊る姿がありありと目に浮かんだ。
怒濤のようにもんじゃや焼そばを食べ、ビールと日本酒も飲んで、怒濤のように帰って来て陸に上がったら、成瀬さんは怒濤のように酔っていた。
彼は何をするにも半端じゃないのだ。
まだ7時半ぐらいだったので、ちょうど有楽町線ってこともあり、うちの事務所へ寄らないか、って言って、みんなで江戸川橋で下りた。
他愛のない雑談をしながら成瀬さんとあまり酒を飲まない北山さんをのぞいて、また酒や
ウィスキーをたっぷり飲んだ。
北山さん、翌日仕事の尾形さんと順に帰り、気がつくと、いつものように私は椅子で寝てて、コートを掛けてもらってて、見ると成瀬さんと郡司さんも同じ形だった。
ふとん出してごろ寝をすすめ、私もそうしたけど、成瀬さんは進呈した私の親父の
(あまり人気のない)自費出版本を読んでいた。
また気がつくと明るくなってて、寝てた郡司さんも成瀬さんも消えていた。