12/6の主張 文は田島薫
(批評について)評論家ってものはどんな分野でも、結局、人の成した仕事に対してアラ探しし、
人の褌で相撲を取ってるだけのわりに、偉そうにしてる図々しい職種のように
見えるのは、批評ってものが「誰でもできる」、っていう部分があるせいなのだ。
人は誰でも、それぞれの感覚や考え方を持ってるわけなのだから、何かに対して
感想を持つことはできるわけで、それに一般人が書けない鋭くて、人を納得させる
感性と視点と論理がなければ、誰も感心はしない。
そういったことをきちんと踏まえ、被批評者に対して、常に敬意を忘れない批評
家は少ないようだけど本物なんだろうと思う。
そんな風に本職でもそんな具合なんだから、素人の批評ってものはなかな処理がやっかいなことが多い。
批評する本人は自分が素直に感じたことを発言してるだけなんだから、嘘はない、
ってことで、いいのかも知れないんだけど、それはひとつの個人的感想の域を出て
ないことも多々ある。
特にやっかいなのは、文章だ。文章は読み書き習って、何年か書いた者なら、誰でも自分が文章を書けると感じているわけだし、書きなれた自分の文章や、好き
な作家の表現などに浸っていると、異質な文章に対して拒絶反応めいたものも
起きてくるようなのだ。
そして、あれはうまいけど、これは下手だ、などと批評する。それは結局、あなたの好みを表明してるだけだ、ってことが多い。
もちろん、文章表現のうまい下手、はあるし、ここの部分はこう表現した方が流れもすっきりするし、意味も分りやすいでしょ、って言われれば、なるほど、って場合も
あるのだけど、素人の批評は、どこが?って聞くと、全部、頭から尻まで、だめだ、
などと言う。
で、その批判する当人の文章はどうか、っていうと、そこの部分こうした方がいいん
じゃない、って言っても、そんなことはない、これでいいのだ、って言うのだ。
私は批評には、最低のルールがいると思う、明らかに、双方が認める師弟関係で、弟子の方が求めたのであれば、辛らつな批判もあっていいだろうが、それ以外なら、
相手に(存在の)敬意を感じた時のみ、真剣に批評しろ、っていう。
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