9/22の主張             文は田島薫



(普通人の傲慢について)

普通であることに過剰な誇りを持っている人々がいる。

例えば、安定した会社に入り、そこそこのポストを得、健康で常識を持った

伴侶を得、子供を2〜3人作り、その子供はそこそこのレベルの学校へ入れる、

そういったことを、世間と比べ、自分が人並みに遂行されていることを、

確認できた時に彼の人生の使命の大部分は完成だと考え、逆に、それの

どれかが欠けている人間に対しては少し蔑視をし、そういった人間の発言

や表現などにはあまり耳を向けたがらない、といった傾向の人だ。


確かにそういった普通の暮らしを構築して行くことは大変な事業だと思う。

しかし、それは言ってみれば人間社会のただのインフラにすぎないのだ。

そうやって、固体的継承をしなければ民族や人類が途絶えてしまうから、

といった重要性に過ぎないのだ。(大事なことかも知れないけど)


もっと大事な事はその継承する子孫に時代の大切な精神のようなものを

得させる手助けをすると言った事のはずだ。


世の中にはそういった家庭的生活を犠牲にしてりっぱな仕事を残す人が

沢山いて、そういった仕事からの恩恵をみんなが受けているし、

いろいろな生き方をする人間のいろいろなプラスの影響力によって発展らしき

人間の継承がされて行くのだ。


人にはそれぞれ役割があって、内容担当、容器担当といったふうに考えるべきで、

一方が一方を馬鹿にしてはいけない、どっちもえらいのだ。


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