9/1の主張 文は田島薫
(違った考えについて)コミュニケーションは、人間社会の血液循環にあたるようなもんだし、社会を健康に
するためにはみんなで大いにそれにはげもうではないか、というものの、人はそれぞれ
自分の価値観やら都合で生きているわけだから、人の話にいつも納得する、という
わけにはいかない。
自分の考えや感性と違うことを主張されたりすると、普通あまり楽しくないものだろう。それで、あまりそういった波風を立てるようなことは言わずに、人とはなるべくおだやかに
つきあうのがいいと考えても特別なことではないし、そういった考えの人の方が多そうだ。
ま、年がら年じゅう手当たりしだいに会った人に、自分勝手な話をしかけて、反感を買うのも、疲れるし、馬鹿げたことだろう。
しかし、身内やしょっちゅうつきあっている友人などにも、ただ穏便に、と考えて
接するだけというのはさびしいことだ。
人と人の考えが違うのはあたりまえのことで、違うからコミュニケーションが楽しい、と思う方が人生も豊かになる気がする。
自分が感じたり考えたことだって、わりあい偶然にたまたま最初に出会ったものに「刷り込まれた」だけだったりすることも、よくあるし。
考えを述べれば、相手からも考えが返って来る。それが違った考えだったら、幸運と思おう。
前には、全然うけつけないと思っていたものに、ある日突然感動する、っていったことも
あるかも知れないし、それほどでなくても、違った考えにもそれなりの道理や良さがある
ことを発見することも多いだろう。
だから考えを伝えようとしている人に、自分の考えと違うので不愉快だという理由で、怒って、もうその話はやめよう、などと言うのは自分を小さくすることだと知ろう。