11/4の主張 文は田島薫
(学ぶということの本当の意味について)18才の大学生になったばかりの「少年」が両親と弟に包丁で斬り付け母親を殺した。
逮捕された時いっしょに女子高生がいて、彼女も自分の両親を殺そうと計画していた。
たしか、彼らの言い分は世の中おもしろくない、分かり合えたふたりでいっしょに
なるには両親がじゃまだから、殺しっちゃって、そうなると、ふたりとも普通に生きて
いけないだろうから、しばらくいっしょに生活してから心中する、っていったもんだった。
おいおい、こんな知恵遅れをどうしてみんな放っといたの?って思ったのだが、これは
普通にあり得る話かも知れない気もしたのだ。
だいたい人の生活って暖かい家族がいてみんな活き活きと楽しくやってるっていうのが理想なはずなのに、現実はどうもそうではない傾向が強い感じだ。
親父はリストラに怯えながらびくびくと会社の言いなりにサービス残業をし、子供は
進学競争でいやいや夜中まで塾通いし、またはおちこぼれはダメ人間のように評価され、
だれもこころの落ち着ける場所がない。
私はここで提言する、「無理な勉強はやめよう!」大学を目指すのは止めよう!、ほとんどの日本の大学はもう、その存在価値はない。勉強はそれが好きな者にまかせよう。
今や大学は小学生レベルの学力のがあるぐらい商業化されている。大学商売は元手が
少なくて儲かるから、少子化が進んでいるのにもかかわらず大学が増え続けているのだ。
いい加減に目覚めよう!とんびはたかを生まない。ただおだてられて金を狙われているだけなのだ。
勉強好きな子供は放っといてもするって。いやだっていう子供に無理を強いてはいけない。
好きなことをさせよう、もちろん心配があったら、徹底的に話し合おう。
だいたい、大人がくだらない目先の「必要経費」に縛られて人間性を失うことをやめよう。
必要経費そのものを疑おう。