7/22の日記 文は田島薫
たまたま手許に置かれた養老猛司の「バカの壁」やら、エーリッヒ・フロムの「悪について」なんかを読んでたら、そこに、ここんとこいつも仲間と議論する時
感じる問題が凝縮しているように感じ、今さらながら、自己批判も含めて、
納得していたんだけど、テレビでまたタイムリーに、そういった問題が含まれた
「9.11後の反戦運動」といったドキュメント番組をやっていた。
当時、ブッシュのテロ組織撲滅を理由に始めようとしていたアフガン攻撃に、9.11テロ被害者家族などが、他国に同じ悲劇を味あわせたくない、と反対運動をはじめた話だ。
9.11のテロでパニックを起こした米国の一般大衆は、米国に対するテロはアフガンのタリバンが支持するアルカイダが起こし、首領のオサマ・ビンラディンがアフガンに
かくまわれている、だからアフガンを爆撃するのだ、といった単純な話を当然の話と
受けとめ、テロ組織の側につくのか、米国国民の側につくのか、といったブッシュの
これまた極めて単純化されたばかばかしい選択に乗せられてしまっていた。
反戦運動をはじめた被害者家族のリーダーは人気テレビキャスターの番組に呼ばれるのだが、ブッシュのスローガン頭になったのロボットキャスターがそこにいて、
意見求められた彼がひとこと言うと、話が終わらないうちにロボットがスローガンを
まくしたて続けただけで終わった。
そして当のテロ被害者の家族が反戦を訴えているのに、当事者でもない大勢の大衆が彼に、臆病者だ、とか非国民だ、とかいった非難を送ってくるのだ。
けっきょく、何ものでもない大衆は、誇りある米国、といった唯一自分の存在価値を保証するらしい幻想を、汚されたことに怒っているだけなのだ。
攻撃されるアフガンにも自分達と同じ感情を持つ一般大衆がいて、彼らが犠牲になる
といったことに思いがおよばないか、そう思っても自分達とちがう間違った考えの
人々なのだ、などと勝手に自己正当化して顧みれなくなってしまっているのだ。
マスコミがそろって、そう言ってれば、考えの浅い人々が流されるのは、どこでも
同じなんだろう、こわいことだ。