今週の感動(昔のもありの) 文はさぬがゆたか
ソノ世界的イラストレータ・サニーはココアメンバーですが、
ふだんのアート作業を栃木でやっていて、そこからの田舎だよりです。
今週も一昨年届いたアート論な「今週の感動」。
やっとやっと更新されました。ビッグコミックオリジナル誌じゃないけれど隔週は長く感じます。
街の小さな美術館でも見にいく気分で「グラビア」を楽しみにしているんです。
さて今回の批評。どうも受け狙い?なんて思われだしているんじゃないかと考えると
言いずらい。
はやい話が「はまる」ことがない人もいると思います。本人納得の世界だけに、それ
はそれ!って思っているはずなのでこちらもラクチンではありますが。
そう自分ははまっております。
「3D画像が動いてなんぼ」「リアリティがなければ人の心は動かせない!」なんて言葉をはしばしに入れながら酒を飲んでいるグループに一発かましてしまった
こと。それを思い出した。
「想像力がない分、丁寧に表現してあげることが、はたしていい結果になるんだろう
か?」なんて言ってしまった気がする。本当に大きなお世話だけれど、なんだか
ファミリーレストランのメニューに書かれているカロリー表に似た嫌悪感を感じた
ものです。
人ってもっと考える力があって、感受性があって、ものの分別が付く間ではすごく
いいのに、あっという間に右習え!みたいになってしまう。いや、なりやすい。
どうしてなのか?と単純に思う。
今を生きているんだから、それらが全て悪いと言っているんじゃない。思うのは造る
側(それを商売にしている)がどこかで、表面ずらをなぞってアートごっこをしてる
に過ぎない。それに習いなさい。っていっているんのではと思う。
例えば赤信号が立派な3Dで描かれ、危険を知らす信号だと理解はする。だけどそれ
だけ、あとは勝手に思って下さい。本当はそれ以前に含むことや、だからそうなった
のかの部分を表現出来れば、信号なんかいらないのかも知れない。
(あ〜〜何を言っているのか自分でも解らない?)
足らないくらいの線で描かれたマイホームのねこ。線をプラスしたいけれど、やっ
ぱりこれでいいんだよね。そこがいいところで何でも何でも足したくなっている現代病に
いい薬だと思う。