8/18の主張             文は田島薫



(不戦の誓について)

小泉首相は今年も靖国神社に参拝し、内外の批判に対しては、そこで不戦の誓(ちかい)

をしたのだ、と言った。

不戦の誓、だと?以前ならまだしも、つい先日まで米国の独善的理由によった一方的イラク

攻撃を支持し、なおかつ、「戦後」の支援に自衛隊を送ろうとしているのに。

あれは戦争ではなかったのか?戦争だとしても自分たちがやったわけではない、米国と

英国がやったのを、支持しただけだ、と言うのだろうか。


米国の一方的論理に同調して、イラク国民の生の気持ちを考えなかったんじゃないのか。

これから、米国はターゲットをイランや、北朝鮮へ向けだしている。

不戦不戦といいながら、また米国の仕掛ける戦争に追従して行くのだろうか。


不戦の誓って、何だ?


大東亜戦争で日本は中国をはじめ南アジア諸国を侵略し、大勢の人々を殺戮した。

その加害者である戦犯を含め軍人のみをまつった神社に政治家として参拝するって、

一方的被害者である各国国民はどう感じるか、考えないのだろうか。

こっちの国内の問題だ、知ったこっちゃない、というのか。

石原都知事も他国からの靖国神社参拝批判は失礼だ、と言った。失礼なのはあんただ。


そういった行動しつつの不戦の誓って、空しい響きに感じられないだろうか。

本当の不戦の誓なら、大日本帝国軍人のみではなく民間人も被害国人もすべての戦争犠牲者

に対して、お参りし、それをするべきだろう。


戦争のほんとの被害者の気持ちを無視した不戦の誓は矛盾だ。


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