7/3の主張
            文は田島薫



(言論の自由について)

日本人は議論がきらいだとよく言われる。

確かに、いろんな場でちょっと議論がぶつかりあうようなことがある

と、なんとなく場がそわそわして、すぐに、まあまあ仲良くしよう、

などと議論を止める人がでて来る。

そして、当たり障りのない話に変えて安心する。

今の若い世代なんかもその伝統をまもっているのが多いようだ。


また、「非常識なこと」を言う人間は一言のもとに、非難されて、

その言動の全体を表現することを禁止される。


しかし、言論の自由とか議論というものの必要性はどういうところに

あるのかと考えてみると、


人々が当然の正義だと考えていることだけが発言を許されると

感じる習慣ができるとすると、その社会のまん中にいて知らずのうちに

言論を操作する権力者がでてきたりしても、気がつかなくなり、

それを正すものである「非常識」な意見が「不正義なもの」に

感じるようになるというところにあると思う。


「非常識」と思われる意見ほど大切に、徹底的に考え議論して、

間違いなら間違いである理由をその発言者にも納得させるほどの

より広い視野を獲得するのが大人の世界ではないだろうか。


表現してはいけない言論はいっさいないと考えるべきでは。





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